ご好評ツアーの様子(竹内街道)
- 2018/12/29
- 12:29
芭蕉も歩いた古代の官道・竹内街道(2018・11・23)
- 當麻寺から⻑尾神社へ -
竹内街道は、古代より交通の主要なルートであり、日本遺産にも指定されている所です。有名な俳人松尾芭蕉もこの地を二度訪れ、数句を残しています。
芭蕉の足跡を訪ね、綿弓塚、孝女伊麻旧居跡等の旧跡を巡ります。
<行程>
近鉄当麻寺駅→相撲館「けはや座」→當麻寺伽藍→中之坊(芭蕉句碑…剃髪堂…
香藕園…書院・茶室…客殿絵天井…霊宝館)→芭蕉の小径→史跡の丘→竹内街道→
法善寺(伊麻旧跡碑)→綿弓塚→鍋塚古墳→磐城小学校(孝女伊麻像)→
大磯虎女旧跡→孝女伊麻旧跡→現徳寺(松柿)→長尾神社→近鉄磐城駅(約6.6キロ)
11月23日、雲一つない青空の下、二上山の稜線もくっきりと見え、絶好の散策日和です。9名の皆様にご参加を頂き、二つのグループに分かれ出発しました。

相撲館「けはや座」
相撲館「けはや座」は、相撲の始祖として知られる「當麻の蹶速」に因み、平成2年5月に開設された建物。近くには當麻蹶速の塚の伝承がある五輪塔(けはや塚)もあります。参道には大輪の菊の鉢植えが並び目を楽しませてくれていました。
當麻寺東塔
今回のツアーでは、當麻寺の三堂拝観はしないので、本堂・講堂・金堂と諸仏については外からの案内となりました。
東塔は、間近から特異な構造(二・三層とも2間、相輪は八輪)について見る事が出来ました。
西塔は現在修復中で見学できませんが、相輪上部で発見された舎利容器(白鳳期)は国内最古級だったと報じられ、「再建説」が出されています。

芭蕉句碑 香藕園
拝観した中之坊は、當麻寺最古の僧房であり、芭蕉句碑、香藕園、客殿絵天井、霊宝館など見学できました。
香藕園では、若いカップルの前撮りがあり、幸せのお裾分け。公開の松室院天井画(円形で径約70㌢)は、155枚あり、前田青頓、上村敦之らが寄贈した壮麗な作品の数々に暫し見入りました。

芭蕉の小径 史跡の丘
東大門の手前の道標に従い小道を歩くと瓦道池、史跡の丘にでます。「芭蕉の小径」と呼ばれている道です。芭蕉は、「野ざらし紀行」(1684年)と「笈の小文」(1688年)の旅路で當麻寺に詣でています。
史跡の丘には、34基から成る古墳群があります。
竹内街道
竹内街道は、大和国と河内国を結んだ古代の主要な幹線道路の一つで、堺市大小路から長尾神社付近までの約26㌔の街道。
松尾芭蕉、吉田松陰らもこの地を訪れ、司馬遼太郎が幼少期、少年期に過ごした地でもあり、「日本最古の官道を国宝にすべき」と言わしめた所という案内がありました。

孝女於伊麻旧跡碑 綿弓塚
法善寺山門脇には「孝女於伊麻旧跡」碑が建てられ、近くに家跡(推定地)があります。その家には芭蕉も訪問し、直接話を聞き、強い感銘を受けたと記しています。
「綿弓塚」で昼食休憩を取りました。休憩所内には竹内街道、芭蕉に関する資料、綿弓等が展示され、外には「綿弓塚」碑が建っています。
鍋塚古墳
直径46㍍の円墳で、5世紀前半の築造と推定されこの辺りでは最古の古墳です。また、神武東征の際に皇軍を迎え討ったとされる長髄彦の墓と言う伝承もあります。
孝女伊麻像
葛城市立磐城小学校玄関には、孝女伊麻像が建っています。2月27日の伊麻の追善法要には、同小学校の全児童も参列し、創立以来の行事と言われ、校章も鰻が入っていたという水瓶を図案化しものです。

孝子の碑
この地は、孝女伊麻誕生の地とされ、天保11年(1830)に伊麻の孝養を顕彰し旧宅跡に石碑が建立されました。例年2月27日この碑の前で孝女伊麻をしのぶ追善法要が行われています。近くにある水瓶を模した陶製の腰掛にも鰻の図柄が施されています。
松柿
孝子の碑のすぐ南に現徳寺があります。境内に、蓮如上人が立ち寄った際に松の木に柿の木を接いだという「松柿」があり、この霊木は今も秋には実を結び、当日も実が数多く生っていました。食べると中風にならないとか。
長尾神社
最後に訪れたのが竹内街道の起点である長尾神社。創建は不明ですが、式内大社で、江戸時代には正一位の神階を授けられています。御祭神の水光姫命は白蛇であるとされることから、三輪明神が蛇の頭で、当社が蛇の尾と言う伝承があります。
ツアーが無事に終えた事に感謝し、お参りしました。
好天に恵まれ、15000歩程のツアーとなりました。特別公開の天井画を見ることができ、また芭蕉の足跡をたどりながら竹内街道をゆっくりと散策できたのではないかと思います。予定の時間より少し早めに終了できたのも参加された皆様のご協力のお蔭と感謝しています。有難うございました。
文・写真 西川憲
- 當麻寺から⻑尾神社へ -
竹内街道は、古代より交通の主要なルートであり、日本遺産にも指定されている所です。有名な俳人松尾芭蕉もこの地を二度訪れ、数句を残しています。
芭蕉の足跡を訪ね、綿弓塚、孝女伊麻旧居跡等の旧跡を巡ります。
<行程>
近鉄当麻寺駅→相撲館「けはや座」→當麻寺伽藍→中之坊(芭蕉句碑…剃髪堂…
香藕園…書院・茶室…客殿絵天井…霊宝館)→芭蕉の小径→史跡の丘→竹内街道→
法善寺(伊麻旧跡碑)→綿弓塚→鍋塚古墳→磐城小学校(孝女伊麻像)→
大磯虎女旧跡→孝女伊麻旧跡→現徳寺(松柿)→長尾神社→近鉄磐城駅(約6.6キロ)
11月23日、雲一つない青空の下、二上山の稜線もくっきりと見え、絶好の散策日和です。9名の皆様にご参加を頂き、二つのグループに分かれ出発しました。


相撲館「けはや座」
相撲館「けはや座」は、相撲の始祖として知られる「當麻の蹶速」に因み、平成2年5月に開設された建物。近くには當麻蹶速の塚の伝承がある五輪塔(けはや塚)もあります。参道には大輪の菊の鉢植えが並び目を楽しませてくれていました。

今回のツアーでは、當麻寺の三堂拝観はしないので、本堂・講堂・金堂と諸仏については外からの案内となりました。
東塔は、間近から特異な構造(二・三層とも2間、相輪は八輪)について見る事が出来ました。
西塔は現在修復中で見学できませんが、相輪上部で発見された舎利容器(白鳳期)は国内最古級だったと報じられ、「再建説」が出されています。


芭蕉句碑 香藕園
拝観した中之坊は、當麻寺最古の僧房であり、芭蕉句碑、香藕園、客殿絵天井、霊宝館など見学できました。
香藕園では、若いカップルの前撮りがあり、幸せのお裾分け。公開の松室院天井画(円形で径約70㌢)は、155枚あり、前田青頓、上村敦之らが寄贈した壮麗な作品の数々に暫し見入りました。


芭蕉の小径 史跡の丘
東大門の手前の道標に従い小道を歩くと瓦道池、史跡の丘にでます。「芭蕉の小径」と呼ばれている道です。芭蕉は、「野ざらし紀行」(1684年)と「笈の小文」(1688年)の旅路で當麻寺に詣でています。
史跡の丘には、34基から成る古墳群があります。

竹内街道は、大和国と河内国を結んだ古代の主要な幹線道路の一つで、堺市大小路から長尾神社付近までの約26㌔の街道。
松尾芭蕉、吉田松陰らもこの地を訪れ、司馬遼太郎が幼少期、少年期に過ごした地でもあり、「日本最古の官道を国宝にすべき」と言わしめた所という案内がありました。


孝女於伊麻旧跡碑 綿弓塚
法善寺山門脇には「孝女於伊麻旧跡」碑が建てられ、近くに家跡(推定地)があります。その家には芭蕉も訪問し、直接話を聞き、強い感銘を受けたと記しています。
「綿弓塚」で昼食休憩を取りました。休憩所内には竹内街道、芭蕉に関する資料、綿弓等が展示され、外には「綿弓塚」碑が建っています。

直径46㍍の円墳で、5世紀前半の築造と推定されこの辺りでは最古の古墳です。また、神武東征の際に皇軍を迎え討ったとされる長髄彦の墓と言う伝承もあります。

葛城市立磐城小学校玄関には、孝女伊麻像が建っています。2月27日の伊麻の追善法要には、同小学校の全児童も参列し、創立以来の行事と言われ、校章も鰻が入っていたという水瓶を図案化しものです。


孝子の碑
この地は、孝女伊麻誕生の地とされ、天保11年(1830)に伊麻の孝養を顕彰し旧宅跡に石碑が建立されました。例年2月27日この碑の前で孝女伊麻をしのぶ追善法要が行われています。近くにある水瓶を模した陶製の腰掛にも鰻の図柄が施されています。

孝子の碑のすぐ南に現徳寺があります。境内に、蓮如上人が立ち寄った際に松の木に柿の木を接いだという「松柿」があり、この霊木は今も秋には実を結び、当日も実が数多く生っていました。食べると中風にならないとか。

最後に訪れたのが竹内街道の起点である長尾神社。創建は不明ですが、式内大社で、江戸時代には正一位の神階を授けられています。御祭神の水光姫命は白蛇であるとされることから、三輪明神が蛇の頭で、当社が蛇の尾と言う伝承があります。
ツアーが無事に終えた事に感謝し、お参りしました。
好天に恵まれ、15000歩程のツアーとなりました。特別公開の天井画を見ることができ、また芭蕉の足跡をたどりながら竹内街道をゆっくりと散策できたのではないかと思います。予定の時間より少し早めに終了できたのも参加された皆様のご協力のお蔭と感謝しています。有難うございました。
文・写真 西川憲