ご好評ツアーの様子(後醍醐天皇)

不屈の帝・後醍醐天皇 吉野の足跡(2019.5.12)
   ~ゆかりの寺社と仏像を訪ねて~


 後醍醐天皇は、天皇自ら挙兵して鎌倉幕府滅亡への流れをつくった異色のリーダーです。何度も討幕の計画が発覚し、隠岐に流されたり、京の都を脱出し吉野に南朝をたてたりと、その生涯は波乱万丈。初夏の吉野を散策しながら、足跡をたどります。

<行程>
近鉄吉野駅→銅の鳥居→吉野朝宮跡→金峯山寺蔵王堂→吉水神社→勝手神社→
五郎兵衛茶屋跡広場(昼食)→如意輪寺→後醍醐天皇塔尾陵→近鉄吉野駅(6.5㎞)

 5月12日午前10時、少し汗ばむほどの初夏の晴天に恵まれ、参加者32名、ガイド・スタッフ10名が吉野駅に集合しました。 

橋2<大橋を渡る>
 新緑の美しい吉野山を眺めながら、七曲の坂を上ります。

 吉野三橋の一つである大橋を渡って進むと、金峯山寺の総門である黒門に到着。
見事な高麗門です。


鳥居2
<銅の鳥居をくぐる>

 金峯山入峯の第一門である銅の鳥居は、銅で造られた鳥居の中では日本最古。

 銅の鳥居をくぐり抜けると、いよいよ国宝 金峯山寺仁王門が見えてきます。


宮跡
<吉野朝宮跡>

 道を折れ、吉野朝宮跡に向かいます。

 京都で足利尊氏との戦に敗れた後醍醐天皇は49歳。
1336年12月、吉野に逃れ、もう一つの朝廷を開きます。
57年にわたる南北朝時代の始まりです。

 その跡地である金輪王寺跡を見学。南朝四帝の歌碑がありました。
袖返す 天津乙女も 思ひ出ずや 吉野の宮の 昔語りを    
                    後醍醐天皇


蔵王堂
<蔵王堂>

 南朝の四天皇に思いを巡らせながら急な石段を上ると、
そこは金峯山寺蔵王堂です。

 桃山時代を代表する荘厳で華やかな建物は、吉野山のシンボル。強い日差しを避けた木陰で、新人ガイドの説明を聞いていただきました。


導きの社2
<後醍醐天皇導きの稲荷>

 階段を下りると、京都を逃れて吉野へ来られる途中、
道に迷われた天皇を導いたといわれる稲荷の社があります。


説明
<一目千本>

 商店が並ぶ通りを歩くと、左手下に吉水神社があります。

 「一目千本」といわれる展望台からは、中・上の千本を一目で見渡せます。桜の時期は過ぎていましたが、新緑がとても美しく爽やかでした。

 境内では後醍醐天皇ゆかりの「十字の詩」の碑や歌碑を拝観します。


 大海人皇子と袖振り山・静御前の舞など、たくさんの伝承がある勝手神社に向かいます。1348年、後村上天皇が高師直の来襲を避けて賀名生に行幸の折、この神前で御馬を下りて、「たのむかいなきにつけても……」と御歌を詠まれたのは有名です。

昼食<五郎兵衛茶屋跡>
 五郎兵衛茶屋跡で昼食をとりました。
休憩所もある花見客の憩いの場所で、桜の古樹が最も多い、吉野山の中心です。

 南北朝を偲んだ幕末の詩人 頼杏坪の石碑を見て、いよいよ如意輪寺に出発です。


道2<下りて上って、もうすぐ如意輪寺>

 急な坂を下りつめた所に、近衛文麿の筆になる昭憲皇太后の歌碑があります。

吉野山陵ちかくなりぬらん 散りゆく花もうちしめりたる

 ここから登り返して、ようやく如意輪寺に到着です。


如意輪寺2 後醍醐天皇塔尾陵
<如意輪寺に到着>         <後醍醐天皇塔尾陵>
 多宝塔・宝物殿には、蔵王権現像や正行公辞世の扉が多くの寺宝とともに保存されています。裏山の後醍醐天皇塔尾陵は、遺詔に従い、北向きに築かれています。

ささやきの小道2
<ささやきの小径>

 新緑が美しい ささやきの小径を吉野駅に向います。

 京都奪回と天下統一をあきらめない、まさに執念の人である後醍醐天皇。その足跡をたどった一日も終わりに近づきました。


 無事、全員がゴールしました。お疲れ様でした。

文・写真 : 牧村良子

ご挨拶

奈良まほろばソムリエの会        ガイドグループ

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