ご好評ツアーの様子(紀路ウォーク)

有間・草壁皇子を偲んで紀路ウォーク(2019.3.31)
   -古代の幹線道を飛鳥から市尾へ-


 激動の飛鳥時代を駆け抜けた二人の皇子、有間皇子と草壁皇子。どのような青春を送ったか、想いを馳せながら、桜や春の草花に彩られた早春の紀路(奈良と和歌山を結ぶ古代の幹線道)を散策します。

<行程>
近鉄飛鳥駅→束明神古墳→岡宮天皇陵→森カシ谷遺跡→高取中央公園(昼食)→
森ヲチヲサ遺跡→吉備川周辺→市尾墓山古墳→市尾宮塚古墳→市尾(高台)瓦窯跡→
市尾駅 (約7km)

 3月31日、夜明け前の雷雨も上がり、少し汗ばむほどの春らしい陽気です。参加者52名、ガイド・スタッフ16名が、午前10時、飛鳥駅に集合しました。
①受付の様子 ②多武峰ランナー
<受付の様子:飛鳥駅前>          <横では、多武峰20kmランナ-達>

 今回のテーマの一つは「紀路」。飛鳥から和歌山への古代の幹線道。この紀路から、中国、朝鮮半島の文化や渡来人を受け入れ、日本古代の文化は飛躍的に進歩発展しました。

 今日の行程を説明し、紀路を南下、さあ出発。

③工程の説明 ④飛鳥から見た紀路
<行程の説明>                    <飛鳥から見た紀路>

 もう一つのテーマは「草壁皇子」。天武・持統天皇の後継者として、期待されました。そして、皇太子となり、多くの人から慕われ、恋も。しかし、28歳で亡くなりました。

⑤マルコ山古墳<マルコ山古墳>
 高松塚古墳、キトラ古墳の兄弟。六角形墳から格上の被葬者?(川島皇子か)

 紀路からマルコ山古墳を遠望して、草壁皇子のエピソードを聞きながら、束明神古墳に行きます。


⑥束明神古墳 ⑦束明神古墳発掘時
<束明神古墳(草壁皇子墓?)>     <発掘時:束明神古墳石槨>
 束明神古墳は450個以上の凝灰岩切石が整然と積み上げられ、三段築成八角墳から草壁皇子の墓とされています。
⑧束明神古墳説明の様子 ⑨丹波佐吉狛犬
<束明神古墳の説明の様子>              <狛犬が陵を守る>
⑩岡宮天皇陵<岡宮天皇陵>
 ところが、宮内庁は岡宮天皇陵を草壁皇子の墓としています。



⑪森カシ谷遺跡 ⑫森カシ谷遺跡の前
<森カシ谷遺跡>                   <森カシ谷遺跡の前>
 飛鳥の南入口にあり、「飛鳥を守る砦」として、監視と狼煙による連絡が役割だったと思われます。

 そして、最後のテーマが「有間皇子」。孝徳天皇のただ一人の皇子であったので、斉明天皇、中大兄皇子が留守中に謀反の疑いをかけられました。中大兄皇子の取り調べを受ける為、紀路を通って、滞在先の牟婁(和歌山)向かいます。

 その途中、有間皇子が磐代で詠んだのが、
 「磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また帰り見む」
しかし、再び磐代を訪れることもなく、藤白坂で19歳の生涯を閉じました。

⑬有間皇子の説明
<有間皇子の説明の様子>
 昼食後 高取中央公園リベルテホールにて 


⑭森ヲチヲサ遺跡埋戻後 ⑮森ヲチヲサ遺跡発掘時
<森ヲチヲサ遺跡:埋戻後>           <森ヲチヲサ遺跡:発掘時>
 大壁建物跡が確認され、その中にオンドルを検出しました。5世紀頃、百済等から来た渡来人が住んでいたと考えられます。

⑯薩摩遺跡埋戻後 ⑰薩摩遺跡発掘時
<薩摩遺跡:埋戻後>                 <薩摩遺跡:発掘時>
 薩摩遺跡は国名集落の一つ。大和王権の都作りの為、薩摩から多くの人が呼び寄せられましたが、帰郷できず、住みついたと考えられています。

⑱市尾墓山古墳<市尾墓山古墳>
古墳時代後期、前方後円墳。全長100m。
被葬者は巨勢大臣男人の説も。


⑲古道紀路
 有間皇子は、この景色を見ながら紀路を牟婁へ向かったことでしょう。


⑳市尾宮塚古墳<市尾宮塚古墳>
 市尾墓山古墳よりも新しい前方後円墳。刳抜式家形石棺を見ることが出来ます。

 市尾墓山古墳、市尾宮塚古墳は、当会新人ガイドが定点ガイドを行いました。


?市尾(高台)瓦窯<市尾(高台)瓦窯>
 この窯跡から、藤原京大極殿に使われた瓦が出土しました。


?市尾駅<市尾駅>
 桜やタンポポ、つくしに迎えられ、うららかな紀路に飛鳥時代を感じながら歩きました。

 無事、全員がゴールしました。お疲れ様でした。



文・写真 ガイドグループ)永谷務

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