トピックス(大官大寺)
幻の大官大寺を追いかけて(2017.11.19)
~天武朝の謎とその候補地を探る~
1300年前の飛鳥時代に思いをはせ、「幻の大官大寺」であるこの寺の候補地を訪れその謎に迫る古代ロマンの当ツアーです。
<行程>
JR香久山駅→吉備池廃寺→大官大寺跡→ギヲ山西遺跡→小山廃寺→奈良文化財研究所
→木之本廃寺→藤原宮跡→JR畝傍駅 (約6.5km)
朝から気温も低く寒い日でしたが、心配していた雨も上がり時々は日も差す日和でした。
37名の皆さんが、古代の横大路が通るJR香久山駅前に集合。
ガイド・サポーター13名が案内しました。


早速、香久山駅前で説明を受けるグループや、歩きながら説明を受けるグループと思い思いの
スタイルで出発です。

現在の横大路・国道165号線を渡って、吉備池廃寺へ向かいます。

吉備池廃寺の入り口にある神武天皇碑の前で説明を受け、吉備春日神社で大津皇子の話を聞きました。遠くに二上山も見えています。

吉備池の発掘調査によって巨大な古代寺院跡であることが判明しました。吉備池廃寺は舒明天皇が造営した百済大寺最有力候補地の可能性が高くなりました。
吉備池廃寺の発掘写真や航空写真・地図等を示しながら具体的な説明をしました。

磐余池の候補地は、「磐余池」とは断定できないが、堤と池の堆積土が確認され、古代の池があったことは確実です。

御厨子観妙法寺から天香久山の麓 万葉の森を歩いて飛鳥の里に向かいます。

国史跡の「大官大寺」は、文武朝の造営によるものであり、水田の中に金堂跡・塔跡の基壇が残っています。

大官大寺(文武朝)の西側にギヲ山と呼ばれる丘があり、周辺から古代瓦が出土してギヲ山西遺跡と呼ばれており、高市大寺の候補地の一つです。

小山廃寺(紀寺跡)の説明 横の明日香テニスコートでは、第40回全国選抜高校テニス大会近畿地区大会開催されていました。

奈良文化財研究所 昼食・資料室見学

紅葉が見ごろの奈良文化財研究所より畝傍山を望む

木之本廃寺―畝尾都多本神社周辺に木之本廃寺があったとされています。高市大寺の候補地の一つとして考えられています。

藤原宮跡―日高山南方説の説明。
藤原京の朱雀大路の延長線上に高市大寺があったのではないかと説について説明しました。

「万葉浪漫フェスティバルIN藤原宮跡」開催中でしたが、誰も立ち寄ることなく
醍醐池の前を通り、傳藤原宮海犬養門跡前で説明を受けて畝傍駅へと向かいました。
グループごとに順次解散しました。
幻の大官大寺(高市大寺)についての二つの謎
① なぜ、急いで大寺を百済から高市に移したのか?
② なぜ、飛鳥から離れたこの場所を選んだのだろうか?
今回の謎解きのツアーは、いかがでしたか? 研究者の間でも意見が分かれています。
本当のところは、まだまだ時間がかかりそうです。
大和三山を常に眺めながら、一日ゆったりとした気分で歩くことができました。
文 写真 ガイドグループ 奥田八尋
~天武朝の謎とその候補地を探る~
1300年前の飛鳥時代に思いをはせ、「幻の大官大寺」であるこの寺の候補地を訪れその謎に迫る古代ロマンの当ツアーです。
<行程>
JR香久山駅→吉備池廃寺→大官大寺跡→ギヲ山西遺跡→小山廃寺→奈良文化財研究所
→木之本廃寺→藤原宮跡→JR畝傍駅 (約6.5km)
朝から気温も低く寒い日でしたが、心配していた雨も上がり時々は日も差す日和でした。
37名の皆さんが、古代の横大路が通るJR香久山駅前に集合。
ガイド・サポーター13名が案内しました。




早速、香久山駅前で説明を受けるグループや、歩きながら説明を受けるグループと思い思いの
スタイルで出発です。


現在の横大路・国道165号線を渡って、吉備池廃寺へ向かいます。

吉備池廃寺の入り口にある神武天皇碑の前で説明を受け、吉備春日神社で大津皇子の話を聞きました。遠くに二上山も見えています。


吉備池の発掘調査によって巨大な古代寺院跡であることが判明しました。吉備池廃寺は舒明天皇が造営した百済大寺最有力候補地の可能性が高くなりました。
吉備池廃寺の発掘写真や航空写真・地図等を示しながら具体的な説明をしました。

磐余池の候補地は、「磐余池」とは断定できないが、堤と池の堆積土が確認され、古代の池があったことは確実です。

御厨子観妙法寺から天香久山の麓 万葉の森を歩いて飛鳥の里に向かいます。


国史跡の「大官大寺」は、文武朝の造営によるものであり、水田の中に金堂跡・塔跡の基壇が残っています。

大官大寺(文武朝)の西側にギヲ山と呼ばれる丘があり、周辺から古代瓦が出土してギヲ山西遺跡と呼ばれており、高市大寺の候補地の一つです。


小山廃寺(紀寺跡)の説明 横の明日香テニスコートでは、第40回全国選抜高校テニス大会近畿地区大会開催されていました。

奈良文化財研究所 昼食・資料室見学

紅葉が見ごろの奈良文化財研究所より畝傍山を望む

木之本廃寺―畝尾都多本神社周辺に木之本廃寺があったとされています。高市大寺の候補地の一つとして考えられています。


藤原宮跡―日高山南方説の説明。
藤原京の朱雀大路の延長線上に高市大寺があったのではないかと説について説明しました。


「万葉浪漫フェスティバルIN藤原宮跡」開催中でしたが、誰も立ち寄ることなく
醍醐池の前を通り、傳藤原宮海犬養門跡前で説明を受けて畝傍駅へと向かいました。
グループごとに順次解散しました。
幻の大官大寺(高市大寺)についての二つの謎
① なぜ、急いで大寺を百済から高市に移したのか?
② なぜ、飛鳥から離れたこの場所を選んだのだろうか?
今回の謎解きのツアーは、いかがでしたか? 研究者の間でも意見が分かれています。
本当のところは、まだまだ時間がかかりそうです。
大和三山を常に眺めながら、一日ゆったりとした気分で歩くことができました。
文 写真 ガイドグループ 奥田八尋