トピックス(當麻寺「練供養」)

當麻寺「練供養」と中将姫ゆかりの地巡り(2017.5.14)

今回のガイドコンセプトは1005年(寛弘2)から戦時中であっても途切れることなく営まれている「聖衆来迎練供養会式」を見学するため、中将姫伝説を随所でお話しし、ゆかりの地を巡り当日でしか見ること・体験できないことを味わう事でした。

<行程>
近鉄当麻寺駅→けはや館・けはや塚→當麻寺→ステーション(昼食)→傘堂→鳥谷口古墳→
高雄寺→石光寺→中将姫墓所→ 當麻寺境内(解散)・練供養(約7km)


5月14日、前日の大雨がうそのように当日は晴天に恵まれました。当会の参加者は36名でしたが練供養当日のこの日は日曜日ということもあり、駅には多くの方が降りてきていました。
9時半頃から到着順に4・5名を1グループとして受付終了後、順次スタート。10時過ぎには最終グループがけはや館に向かいました。
けはや館
<けはや館>

中将姫伝説は長いのでけはや館前で誕生から出家までお話しします。
継母に殺されかけるも恨みもせず、一心にお経をあげる姫のお話しは涙なしでは語れません。 
けはや館前での案内風景
<けはや館前での案内風景>

當麻寺境内に入り、木陰で出家後のお話しをします。
17歳の時、参籠中に現れた阿弥陀の化身の尼僧に助けられ、蓮糸を織り上げ、13年後聖衆を従えた阿弥陀が来迎し、姫は合掌し生きたまま西方浄土に迎えられたとされます。
仁王門近く
<仁王門近く>

當麻寺の創建は縁起によれば612年(推古20)、用明天皇の第三皇子麻呂子が異母兄の聖徳太子の教えを受け二上山の西(大阪府太子町)に建てた万法蔵院禅林寺に始まります。
681年(白鳳9)、麻呂子皇子の孫である當麻国見が役行者ゆかりの現在の地に移し禅林寺と号し、弥勒仏を本尊として創建されたのが現在の當麻寺とされています。真言宗と浄土宗が二宗共存する珍しい寺です。
本堂前での案内風景
<本堂前での案内風景>

本堂は天平時代。寄棟造、本瓦葺。本尊は中将姫が織ったと伝えられている「綴織當麻曼荼羅図」で国宝に指定されています。
練供養の期間だけ裏板曼荼羅が拝観可能です。
この日は本堂を「極楽堂」と呼び、「娑婆堂」との間に約120mの来迎橋が渡されます。
来迎橋
<来迎橋>

中之坊本堂は中将姫が奈良時代に剃髪した受戒堂です。中に入らず外で案内します。
中之坊前での案内風景
<中之坊前での案内風景>

護念院にて練供養のビデオ鑑賞、住職による法話を聞き、二十五菩薩の御面を拝観します。
面かぶりは練供養当日、午前の間しか体験できないことで参加者は興味を持って楽しんでいました。
面かぶり体験1 面かぶり体験2
<面かぶり体験>

境内案内の後、ステーションに行き、昼食後、鳥谷口古墳へ。加工後の石棺石材を大量に使用していることから、非業の死をとげた大津皇子の墓とされています。
新緑の中上がっていきます。道中で野草の写真を撮られる方がいました。釣られてパチリ。
鳥谷口古墳1 鳥谷口古墳2 
<鳥谷口古墳>

その後傘堂へ向かいます。
傘堂は一本柱の上に宝形造の屋根を載せただけの造りで、練供養のこの日、カラフルな幔幕が張られていました。参加者は、身体を真柱の周囲に接しながら巡るとご利益があるとのことで、興味津々で中に入りました。
堂内巡り
<堂内巡り>

高雄寺から中将姫ゆかりの「染の井」と「糸掛桜」がある石光寺に行きます。
石光寺の本尊は阿弥陀如来。天智天皇の時、光り輝く所があり掘ると光を放つ石仏「弥勒三尊」が出たので勅願により役行者が堂宇を建てたのが始まりとされています。
染の井
<染の井>

中将姫墓所を通り、15時半頃、當麻寺に戻りました。朝に比べて境内には多くの観光客が集まっており、これから始まる練供養会式を待ちわびていました。

「中将姫」の像を輿に乗せ極楽堂から娑婆堂まで送られます。その後僧侶、お稚児さん、雅楽の演者が続々登場。「天人」が二十五菩薩を先導するスタイルは當麻寺オリジナルです。
天人
<天人>

観音菩薩は両手で蓮台を持ち、左右にささげてはすくいあげる所作を繰り返します。
観音菩薩
<観音菩薩>

勢至菩薩は合掌しながら観音菩薩と同じように体をねじって進みます。
勢至菩薩
<勢至菩薩>

しんがりは天蓋を持った普賢菩薩がつとめます。
普賢菩薩
<普賢菩薩>

娑婆堂では観音菩薩と勢至菩薩が「奉奏舞」を舞います。
帰りの観音菩薩の蓮台には中将姫像の像内から取り出した宝冠阿弥陀坐像がのっています。
帰りの観音菩薩
<帰りの観音菩薩>

喜多郎のシルクロード(絲綢之路)が流れる中、最後に輿が娑婆堂から出ます
娑婆堂から出る輿
<娑婆堂から出る輿>

終わるころには夕日が射しこんでいます。
夕日を浴びる来迎橋
<夕日を浴びる来迎橋>


「今回の練供養のように催しに合わせた企画がよかった」「奈良検定を受けるつもりなので役に立った」「写真を撮って頂いた」「詳しいガイドでとても楽しく過ごせた」など、お客様アンケートの結果、9割以上が満足されたと回答があり、終始和やかな雰囲気でツアーを終了しました。
                                              文・写真 寺田麻美

トピックス(飛鳥)

キトラ・マルコ・高松塚の飛鳥三兄弟古墳を散策(2017.4.16)

今回の飛鳥地域散策のテーマは、「キトラ・マルコ・高松塚の飛鳥三兄弟古墳を散策~四神の館と飛鳥の奥津城巡り~」です。
三兄弟古墳を中心に、飛鳥地域の古墳時代・終末期古墳(7世紀前半)を案内するコースです。3つの終末期古墳の構造上特徴や立地について風水思想の影響、藤原京南西部エリアに広がる聖なるゾーン(陵墓地域)の説明がガイドポイントでした。

<行程>
近鉄飛鳥駅から明日香村東部の高松塚古墳・キトラ古墳を巡り、壺阪山駅から近鉄線を西へ越えて高取町の束明神古墳を巡り、マルコ山古墳ほか明日香村西部の古墳をたずねて、飛鳥駅に帰ってくる周回コースです。
近鉄飛鳥駅→高松塚古墳→檜隈寺跡→キトラ古墳→四神の館(昼食休憩)→(壺阪山駅)→岡宮天皇真弓丘陵→束明神古墳→マルコ山古墳→牽牛子塚古墳→岩屋山古墳→近鉄飛鳥駅 全行程約10kmで途中登り坂が多い健脚向きコースです。


4月16日(日)朝から晴天に恵まれウオーキング日和です。桜の満開は過ぎましたが、まだ花が残り春の香りが広がっています。距離が長い健脚向きコースで、最高気温25度の天気予報でしたが、67名もの皆さんにご参加をいただきました。
9時40分集合でしたが、近鉄吉野線の本数が少なく待ち時間が長くなるので、早く集まられた方から先に少人数のグループを組んで出発しました。
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<近鉄飛鳥駅から高松塚古墳へ>

まず「高松塚古墳」です。1972年から始まった調査で、石室内部から鮮やかに彩色された壁画が発見され、日本中に考古学ブームを巻き起こしました。これを契機として、「終末期古墳」が認識され始めました。今回の終末期三兄弟古墳の最初の古墳です。
壁画館には入らずに先を急ぎます。
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                    <高松塚古墳>

檜隈寺跡前休憩案内所を経由して、「於美阿志神社・檜隈寺跡」です。於美阿志神社(延喜式内社)は渡来人集団・東漢(やまとのあや)氏の氏寺だった檜隈寺(ひのくまでら)の跡地に位置しています。1979年からの発掘調査によって、金堂・講堂とその基壇・塔・門・回廊・仏堂などが確認されました。
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  <於美阿志神社・檜隈寺跡>

「キトラ古墳」は、終末期三兄弟古墳の2つ目の古墳です。高松塚古墳の発見を契機に、1983年ファイバースコープを使用した調査で壁画が確認されました。四神などの壁画のほかに、天井に描かれた天文図は、現存する世界最古の精緻なものと評価されています。
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       <キトラ古墳>

「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」は、昨年9月に開館したキトラ古墳の壁画や出土品を保存管理・展示する施設です。周辺は国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区として整備され、休憩設備や芝生、ベンチがあるので、ここで昼食休憩をとりました。
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<キトラ古墳壁画体験館 四神の館前>

昼食休憩の後はあまりなじみのない行程をたどります。壺阪山駅に向かい駅南の陸橋をわたって西側へ、高取町役場の前を通って、途中「森カシ谷遺跡」を遠望しながら、飛鳥の王宮と紀ノ川河口とを結んだ「紀路」に入ります。「岡宮天皇陵」の前を通って、束明神古墳へ。岡宮天皇陵は宮内庁が草壁皇子の墓として管理する陵墓で、草壁皇子は、持統3(689)年に没し、天平宝字2(758)年に岡宮御宇天皇(おかのみやにあめのしたしろしめししすらみこと)と諡号を贈られました。
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              <壺阪山駅南の陸橋を渡る>
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     <森カシ遺跡を望む>          <岡宮天皇真弓丘陵>

しばらく上りが続く難所の行程に向かいます。丘陵の途中にある佐田集落の中を抜けて、一番奥にある春日神社への百段ほどの階段を上ります。「束明神古墳」は、春日神社境内に残る終末期古墳で、八角形墳と推定され、真の草壁皇子陵とする専門家が多いです。
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               <春日神社・束明神古墳>
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      <佐田集落>

束明神古墳の後、丘陵沿いの山道を通って明日香村にもどり、三兄弟古墳の最後、六角形墳の「マルコ山古墳」に向かいます。高松塚古墳のような壁画が描かれた古墳は他にもないのかということで、1978年に調査されましたが、壁面に漆喰は塗られていたものの壁画はありませんでした。墳丘上に登れ、トイレも設置されています。
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                  <マルコ山古墳への道>
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     <マルコ山古墳>

さらに丘陵沿いの山道を、途中にある「真弓鑵子塚古墳」を遠望しながら、「牽牛子塚古墳」に向かいます。牽牛子とはアサガオの別称で、以前は「あさがおづかこふん」とか「御前塚」と呼ばれていました。牽牛子塚古墳は版築により造成された八角形墳で、斉明天皇の墓の可能性が高いといわれます。ただし、宮内庁は、高取町大字車木に所在する車木ケンノウ古墳を、斎明天皇の越智崗上陵 (おちのおかのえのみささぎ)として管理しています。
隣接する「越塚御門古墳」の被葬者は、大田皇女(斉明天皇の孫、中大兄皇子の長女)が有力です。
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                  <牽牛子塚古墳への道>
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     <牽牛子塚古墳>

今回の行程の最後となる岩屋山古墳は終末期の方形墳です。精緻な花崗岩の切石を積んで構成されている「岩屋山式」と呼ばれる横穴式石室で有名です。墳丘の上には一本桜が咲いていました。

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<岩屋山古墳>

天気予報通り最高気温25度の夏日になりましたが、参加者の皆さんは健脚揃いで一人の脱落者もなく、全員飛鳥駅まで無事戻ってこられました。

お客様のアンケートでは、9割の方から満足という評価をいただきました。距離の点でもちょうど良いというご意見が9割を占めました。
個別には「ガイドの説明が詳しくわかりやすかった。古墳のことがよくわかった。一人では行きにくい駅西側の古墳を廻れてよかった。」などのご意見をいただきました。
ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。
                                                 (記 石田一雄)

トピックス(北山辺)

ミステリーツアー知られざる北山辺の道(2017.3.25)

東大寺山堺四至図(とうだいじさんかいしいず)とは 
 東大寺の寺域を定めるために天平勝宝8年(756)に作成された麻布製の
 大図面(297×223cm)。
 現在も残る伽藍のほか東西両塔・新薬師寺堂・神地・氷池・氷室谷など
 興味深い記載が見える。 (原本は正倉院御物)
 この神地・氷池・氷室にスポットをあて残された史料類を比較検討の上、
 春日山麓に手掛りを求めて、その足跡を探索するツアーである。

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神地推定地前の説明

1)ツアーの特徴
  ①史跡の表示が無いので側を通っても気付かず、人が立入らない謎め
    いた場所を探し出す醍醐味が味わえる。(ミステリーツアーの由縁)
  ②オリエンテーションを奈良文化会で1時間行い、予備知識を深めて
   出発した。
   古来 春日氏ゆかりのこの地域に平城遷都が始まり、神体山である
   御蓋山麓の支配権が、阿部氏→朝廷→藤原氏(興福寺・春日大社)
   へと移行した。
   8C~9Cにかけてこの地域で神事や諸行事が実施され、また諸施設
   の創建等が行われるが、平安遷都により10C頃には消滅したと見られる。

   (主な祭祀、建造物)
     イ、 阿部氏の社
     ロ、 朝廷の神事・祭祀(遣唐使や氷に関わる祭祀等)
     ハ、建造物(離宮、斎宮、等)

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  氷室土坑跡

2)ツアー順路
   晴天の下、14名の参加者、ガイド2名・サポーター2名で2班に分かれ、
   文化会館をAM11:00に出発して、最終地の新薬師寺金堂跡にて
   PM15:00に解散した。
      ①春日大社東西五重塔跡 ②御料園古墳群 
      ③国際フォーラム別館前で昼食 ④氷池(推定) ⑤氷室跡 
      ⑥神地跡(推定) ⑦築地塀跡 
      ⑧新薬師寺金堂跡・ 吉備塚跡(奈良教育大学構内)

  御料園古墳群 
   春日氏系の小円墳14基が飛火野園地東辺部に存在する。
   何れも墳頂は数10cmの削平を受けている。竪穴式構造で須恵器・鉄族・
   切子玉等出土。 7c後~8c前の築造。表示がなく墳丘がなだらかで1m未満
   のため、誰も気付かない。

  氷池跡(推定)
   東大寺山堺四至図には、吉城川(水谷川)が水谷神社の西で北へ大きく
   蛇行する辺りのすぐ西側に「氷池」の表記がある。
   氷室遺構 水谷神社の南東70~80mの地点に3基1セットの土坑が見られる。

  神地(推定)
    春日大社二ノ鳥居北西に隣接する60m四方程の区域と推定する。
  
  新薬師寺金堂跡 
   2008,11奈良教育大学構内(北東済)から間口52mの
   東西に長い建物遺構が出土し、新薬師寺金堂跡と断定された。
   東大寺山堺四至図の記載位置と一致。   
   光明皇后が聖武天皇の病気平癒のため創建した4町四方の
   広大な寺院であった。
                        ソムリエガイド 塩見勝彦 記

トピックス:粟原から忍坂・外山を巡る

粟原から忍坂・外山を巡る(2016.11.05)

<行程>
桜井駅南口(集合)―粟原寺跡―越塚古墳―赤坂天王山古墳―石位寺―舒明天皇陵―瀧川寺社建築―報恩寺―桜井駅南口(解散)

  好天に恵まれ、気持のよいスタートを切ることが出来ました。桜井駅からバスで粟原へ、バス停から急坂を15分で行程の最高地点である史跡粟原寺跡へ到達。中臣大嶋の発願により草壁皇子の菩提を弔うために694~715年にかけて建立された寺院の跡です。何時の時代かは不明ですが、山崩れにより倒壊、現在は塔・金堂他の30基程の礎石を残すのみです。

粟原寺跡
   <粟原寺跡にて>

 西に2km程歩き、越塚古墳へ。6世紀後半築造と思われる円墳で、築造主体・被葬者などは不明。組合式石棺の一部(底石)が残ります。更に西に1.5km程、赤坂天王山古墳へ。6~7世紀築造の方墳で、一辺45m程の規模を誇ります。巨石を持ち送った、高さ6mの玄室に巨大な刳抜き式石棺を納めます。真の崇峻天皇倉梯岡陵とするのが定説です。

天王山古墳   玄室内部
<天王山古墳開口部より石室内へ> <天王山古墳玄室内部(手前が刳抜き式の石棺)>

  石位寺では、管理する忍坂区の方々総出(?)の歓迎を受け、50分の昼食休憩を取りました。極めて保存状態の良い高さ1m強の三尊石仏は白鳳時代の重要文化財です。この三尊石仏については「粟原流れ(倒壊した粟原寺から散逸した寺宝のこと)」の伝承があります。

三尊石仏

  最初の八角形墳とされる舒明天皇忍坂陵の巨大さに接した後、国道を隔てた近くの株式会社瀧川寺社建築へ。宮大工の大御所瀧川昭雄会長による講話は90分に及びましたが、全員興味津々の様子でした。
  
瀧川昭雄会長   お客様

  最終訪問先は外山区の報恩寺です。昨年(27年)本堂を立派に改築し、奈良国立博物館に寄託されていた木造阿弥陀如来坐像(平安時代後期、像高216cmで周尺による丈六坐像)が里帰りされました。穏やかな顔つき、体躯のやや薄いバランスのとれた作風は定朝の可能性があります。確認が取れないので、博物館時代から定朝様(よう)と称されていました。お寺の開基は不明ですが、天和年間(17世紀後半)に大像を本尊として受け入れたことが伝わっています。「粟原流れ」が確実と考えられます。

阿弥陀如来坐像
<報恩寺 阿弥陀如来坐像>

  さすがに秋の風が冷たく感じられる頃、予定よりやや遅れての桜井駅到着となりましたが、ご参加の皆様には大変ご満足の様子でした。スタッフの方々のご協力にも感謝致します。
 

トピックス:郡山百万石の城下散策(2016.10.30)

郡山百万石の城下散策(2016.10.30)

テーマは、「筒井順慶や豊臣秀長が造った城と町並の残影を訪ねる」
大和では唯一本格的な城下町郡山。大火や戦災にも遭わず、今も風格ある街並みをとどめています。城に攻め入るつもりで散策します。

<行程>
JR郡山駅→外堀公園→薬園八幡神社→源九郎稲荷→旧川本邸→箱本館「紺屋」→こちくや→本家菊屋→郡山城跡(追手門→城址会館→柳沢文庫→天守台前→柳沢神社→三の丸跡)→やまと郡山城ホール

10月30日、雲ひとつない秋空、絶好の散策日和です。42名の皆さんにご参加をいただきました。今回は対話式のガイドができるよう、少人数のグループを組み、出発します。

外堀公園
      <外堀公園>

郡山城の外堀は、文禄年間に増田長盛が秋篠川の流路を東に移して、その跡地を利用したもの。江戸時代の絵図を用いて説明します。今は気持ちの良い遊歩公園になっています。

源九郎稲荷 コマ狐
     <源九郎稲荷>            <笑うコマ狐>

源九郎稲荷の白狐は、源平時代には佐藤忠信に化け、静御前を吉野の源義経のもとに送り届けた功績で、源九郎の名を賜ったともいわれています。定番「義経千本桜」のご縁で歌舞伎役者もよく参拝されるとお話しすると、参加者の皆さんに興味を持っていただけました。

箱元館 郡山)箱元館
     <箱本館「紺屋」>          <箱本館「紺屋」>

箱本館「紺屋」 は、箱本十三町の一つ紺屋町の染物屋を修復した建物。可愛らしい金魚にちなむコレクションが女性の参加者に人気でした。

郡山)菊屋
     <本家菊屋>

本家菊屋は創業1585年の和菓子の老舗で、豊臣秀長が兄の秀吉に献上した「御城之口餅」などが名物です。1855年に再建された店舗は趣があって素晴らしく、参加者の皆さんは写真を撮っておられました。

市役所前
     <市役所前>

市役所前で、これから向かう郡山城跡について説明します。地図の片側を参加者の女性が持って下さいました。ご親切に、ありがとうございました。いざ、郡山城に攻め入ります!

追手門
     <追手門>

郡山城の築城400年を機に再建された追手門と、それを守る追手向櫓、多聞櫓、追手東隅櫓。侵入した敵を殲滅する"枡形″の説明には力が入ります。特に男性の参加者に熱心に聞いていただけました。

郡山)城址会館
     <城址会館>

城址会館は、明治41年に完成した奈良県立図書館を移築したもので、橋本卯兵衛設計、近代和風建築の傑作といわれています。左右対称の翼楼や車寄せが見どころです。

天守台
     <郡山城天守台>

郡山城天守台は、現在、石積みの歪みを直す修復工事と、展望施設工事が行われています。「登れなくて残念!」とのお声をたくさんいただきました。完成予定は平成29年3月末です。ぜひ、また、郡山城にお越しください。

郡山城跡を巡り、やまと郡山城ホールで解散しました。今日の歩程は約4キロ。お疲れさまでした。

お客様のアンケートからは、「小グループのガイドで、説明が詳しくわかりやすかった。」「何度となく通った街並や道路でしたが、説明を聞きながら歩くと、深く知ることができ、大変良かった。」「いろんな歴史が聞けて楽しかったです。」「また、よろしくお願いします。」との感想をいただき、ガイド一同、大変嬉しく思っています。ご参加下さった皆さま、ありがとうございました。

午後からは、奈良まほろばソムリエの会主催の「なら記紀・万葉を味わい楽しむシリーズ講演会」(第6回)が行われました。(講師:奈良県立橿原考古学研究所所長 菅谷文則氏、演題:『倭国の女王 卑弥呼』) ガイドツアーに参加された多くの皆さんが引き続きご出席くださり、椅子を別途用意するほど盛況でした。
プロフィール
奈良をよく知り、奈良を愛するボランティアガイドのグループです。奈良の本当の素晴らしさを皆様にお伝えします。 奈良観光のご相談も、お気軽にどうぞ。

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