ご好評ツアーの様子(地域別 リスト)

ご好評ツアーの様子 地域別リスト
  これまでのガイドツアーの様子を掲載しています。



 ★奈良市内
    講談で、めぐるなら(2019.10.13)icon4newpink.gif
    世界遺産 元興寺から萩盛りの白毫寺へ(2019.10.5)icon4newpink.gif
    浄瑠璃寺・岩船寺と石仏の里へ(2019.5.8)
    「大茶盛」の西大寺から菅原の里へ(2019.4.20)
    ディープ探訪“押熊”ってどこ?(2018・12・1)
    年に一度の鑑真像にまみえ古刹三松寺へ(2018.6.5)
    ならまちの中将姫ゆかりの地を巡る(2018.4.15)
    五色の椿が咲く白毫寺をめざして(2018.3.24)
    知られざる?世界遺産・春日山原始林(2017.12.3)
    阿修羅の世界を訪ねる(2017.9.20)



 ★奈良県東方面
    三輪山に神々を訪ねる(2019.12.1)icon4newpink.gif
    赤坂天王山古墳から聖林寺をめぐる(2019.3.23)
    
弥生のメッカ唐古から倭国の首都纏向へ(2018.10.21)
    
天理市東部を縦断する(2017.10.08)
    ミステリーツアー知られざる北山辺の道(2017.3.25)
    粟原から忍坂・外山を巡る(2016.11.05)



 ★奈良県南方面
    日本初の写経道場・川原寺で写経体験(2019.9.29)icon4newpink.gif
    不屈の帝・後醍醐天皇 吉野の足跡(2019.5.12)
    有間・草壁皇子を偲んで紀路ウォーク(2019.3.31)
    吉野~飛鳥を結ぶ最短古道(2018.10.14)
    
彼岸花燃ゆる奥飛鳥ウォーク(2018.9.23)
    
蘇我氏ゆかりの飛鳥の地をめぐる(2018.5.13)
    
桜咲く頃、今井町の町並み再発見!(2018.4.1)
    幻の大官大寺を追いかけて(2017.11.19)
    滝の織りなす聖地・吉野龍門の里を歩く(2017.9.30)
    キトラ・マルコ・高松塚の飛鳥三兄弟古墳を散策(2017.4.16)



 ★奈良県西方面
    うぶすなの里・安堵町で灯芯ひき体験(2019/11/2)icon4newpink.gif
    大津皇子ゆかりの二上山をめざす!(2019.11.23) icon4newpink.gif
    當麻の里 中将姫伝説と花咲く石光寺(2019.4.14)
    芭蕉も歩いた古代の官道・竹内街道(2018・11・23)
    大津皇子が眠る二上山の麓を歩く(2018.4.21)
    つらつら椿を愛でる巨勢の道(2018.4.8)
    葛城の道―古代の大豪族・葛城氏の本拠地を巡る(2017.11.5)
    當麻寺「練供養」と中将姫ゆかりの地巡り(2017.5.14)
    郡山百万石の城下散策(2016.10.30)

ご好評ツアーの様子(安堵町)

うぶすなの里・安堵町で灯芯ひき体験(2019/11/2)
   ~大和を代表する環濠屋敷などを巡る~


 今回のガイドコンセプトは、「大和を代表する環濠屋敷などを巡る」。
 「聖徳太子」ゆかりの『飽波神社』や『極楽寺』に加え、奈良県再設置の立役者『今村勤三邸』を改装した『歴史民俗資料館』では伝統行事に欠かせない灯明に使用する灯芯を作るための「灯芯引き」を体験し、最後は大和を代表する環濠屋敷の『中家住宅』を巡りました。

<行程>
JR法隆寺駅→(バス)→東安堵バス停→飽波神社(筋違道)→極楽寺→
安堵町歴史民俗資料館(昼食)→中家住宅→かしの木台1丁目→(バス)→JR法隆寺駅 
(約5.0キロ)

 さわやかな秋晴れの下、13名の方に参加頂きスタッフ7名と共に2班に分かれて上記コースを巡りました。以下にそのガイド風景をご紹介します。


法隆寺駅BJR大和路線法隆寺駅南口

JR法隆寺駅改札前に集合の後、奈良交通バスにて安堵町に向かいます。バスに乗車前に本日のコースの概略を説明しました。安堵町に向かうバスの中は私たちのグループでほぼ貸し切りの状態でした。

空には雲一つない晴天で、幸先の良いスタートとなりました。


飽波神社①A飽波神社前

境内の前を聖徳太子が斑鳩宮から飛鳥の小墾田宮まで通った『太子道』が通ります。
扁額の文字は人間国宝第1号認定者で安堵町出身の陶芸家「富本憲吉」氏の揮毫です。
秋には1995年に100年ぶりに復活した  「なもで踊り」が披露されます。


四弁花安堵町文化観光館支四弁花前

今年8月1日にオープンした安堵町文化観光館『四弁花(しべんか)』に立ち寄ります。
『四弁花』とは富本憲吉氏が作品の絵付けに使った代表的な絵模様の一つで、生家の庭に咲くテイカカズラの花を図案化したものです。
ここは安堵町役場跡地を活用したもので、観光に関する資料が揃えられており、休憩ポイントとしても活用できます。


TOMIMOTO.jpgうぶすなの郷TOMIMOTO玄関前

『四弁花』のすぐ南側にあるのが富本健吉の生家です。
現在は『うぶすなの郷TOMIMOTO』として1日2組限定のホテルとして営業されています。予約制ですがレストランで食事のみを取ることもできます。
今日は庄屋屋敷の面影を感じることができる外観のみの見学です。


極楽寺門前紫雲山 極楽寺

<門前>
聖徳太子建立の46カ寺の一つ「常楽寺」が前身であったと伝わります。
田中住職からご本尊の阿弥陀如来像や客仏である広島大仏の由来等、興味深いお話をしていただきました。


極楽寺大仏殿<大仏殿前>

広島大仏は、戦後間もない時期に広島市の原爆ドーム近くの西蓮寺に原爆犠牲者の慰霊の為安置されていた丈六の阿弥陀如来坐像です。縁があって今は極楽寺に安置されています。
8月に行われる「平和祈念式典」期間以外は非公開ですが、御簾の向こうに確かな存在を感じることができました。


0b5eb_0002338547_1.jpg安堵町歴史民俗資料館

次に向かったのが「安堵町歴史民族資料館」です。
ここは奈良県再設置の立役者今村勤三の生家でもありますが、平成5年に資料館として開館しました。
479坪の敷地に219坪の延床面積があり代々庄屋役を務めた家の暮らしぶりを垣間見ることができます。
ここでは、今村勤三氏やその子息で新生大阪大学初代総長の今村荒男氏等の事跡や江戸時代から昭和にかけての民俗資料等に触れて頂きました。


灯芯引き② 灯芯引き①
灯芯引き体験
そして、今回のメインテーマでもある「灯芯引き体験」です。
灯芯は法隆寺や東大寺、元興寺等の伝統行事に欠かせない灯明用として貴重な材料になります。灯芯保存会の方々のご指導により、原材料の藺草からその茎髄を引き出す作業をしました。30分余りの体験でしたが、皆さん笑顔の中にも真剣さがうかがえる体験となりました。

中家竈中家住宅

最後は大和を代表する環濠屋敷『中家住宅』に向かいます。
内堀に架かる跳ね上げ橋を渡り、典型的な「大和棟」の形態を残すお屋敷の玄関に進みます。
まず目に入るのは焚口が11個もある立派な竈です。少人数でも効率的に作業ができるように勾玉型をしているのが特徴です。


中家梅干し (1)<梅干し>

天正4年(1576)に漬けられた梅干しが現存します。
中家の奥様から直々に由来などの説明をして頂きました。
中家のご家族は現在も重要文化財指定を受けたこの屋敷内にお住まいになられています。


中家内堀<内堀>

屋敷内から架け橋を渡り、内堀と外堀の間にある竹藪沿いの通路で持仏堂に向かいます。橋は細くて手摺もありませんので慎重に・・・。

持仏堂では蔀戸を上げて内部まで見せて頂きました。本堂の北側には庫裏まであり、本格的な寺院の体をなしています。それもそのはず神仏分離令が出るまでは『華蔵院』というお寺でした。


中家を辞した後は「かしの木台1丁目」バス停から奈良交通バスでJR法隆寺駅まで戻り解散しました。晴天にも恵まれ、皆さん和気あいあいと笑顔の絶えない楽しい一日となりました。

複数の方から、「今回参加して安堵町のイメージが大きく変わったよ。また機会があればぜひとも参加したいね。」等のお言葉もいただきました。

皆さん、今日一日お疲れさまでした。またお会いできる日を楽しみにしています。

写真:寺田麻美・岩谷全造 / 文:西川年文

ご好評ツアーの様子(二上山)

大津皇子ゆかりの二上山をめざす!(2019.11.23)
   ~皇子を偲びゆっくりと登りませんか~

 今回のガイドコンセプトは、悲劇の生涯を送った大津皇子を偲び、その遺跡をたどると共に、詠われた万葉歌を紹介し、その時代に心よせるツアーです。

行程
近鉄二上神社口駅集合→倭文神社→加守廃寺→大津皇子二上山墓→葛木二上神社→雄岳→馬の背→雌岳(昼食)→祐泉寺→鳥谷口古墳→大伯皇女・大津皇子歌碑→近鉄当麻寺駅解散(約5.5㎞)

 令和元年11月23日(土・祝)近鉄二上神社口駅9時30分に集合しました。天候は快晴、参加人数は17名で(男性3名、女性14名)4班に分けたツアーです。

近鉄二上神社口駅前でのあいさつ
<近鉄二上神社口駅前でのあいさつ>

 11月とは思えないほどの陽気な気温と日差しの中、これから始まる登山の前に倭文神社に向かいます。倭文神社の正式名称は葛木倭文坐天羽雷命神社(倭文氏の祖神)であり、掃守神社(産婆の神、宮中の掃除)及び二上神社(二上山頂の葛木二上神社の分霊)が摂社として祀られています。

倭文神社
<倭文神社>

 倭文神社参拝後、すぐ北側にある加守廃寺に行きます。薬師寺縁起によると大津皇子が謀反の疑いで捕まったときに隠れていたとされています。北遺跡・南遺跡の発掘調査結果の状況図、写真等を用いて古代寺院の面影を追います。

加守廃寺 - コピー
<加守廃寺>

 途中で何度か休憩、おやつタイムをはさみ、リタイヤされる方もなく全員一時間半かけて雄岳に到着しました。大津皇子二上山墓前では、皇子の系図で大津皇子と草壁皇子との関係を示し、大津皇子の死を「懐風藻」や「日本書紀」の記述を基に説明しました。なぜ謀反人である大津皇子が人々を見下ろす山頂に祀られたのか、実際に山頂にて感じていただくことが今回のメインテーマです。

大津皇子二上山墓
<大津皇子二上山墓>

 雄岳付近にある葛木二上神社前で二上山の成り立ち、山の構成、産出された鉱物、戦国時代には山城があったことをお話します。すぐ横には役小角が法華経八巻二十八品を埋納したとされる経塚があります。

葛木二上神社前
<葛木二上神社>

 天候に恵まれたため、雌岳からは奈良盆地内の大和三山、遥か遠くの宇陀地方まで見渡すことができました。

雌岳から眺めた奈良盆地
<雌岳から眺めた奈良盆地>

 昼食後、下山します。
 祐泉寺山門では鮮やかな紅葉がみられました。足元に注意しながら下ばかり向いていた参加者から歓声があがりました。

祐泉寺山門の紅葉
<祐泉寺山門の紅葉>

 鳥谷口古墳は昭和58年の土取工事の途中に偶然発見されました。7世紀後半の横口式石榔の石室で、石材がどこからかの家形石棺の蓋で転用され急造した可能性が高いことから考古学的には大津皇子の墓ではないかとされています。

鳥谷口古墳
<鳥谷口古墳>

 大津皇子の遺体を二上山に移された際に姉の大伯皇女が詠んだ、
「うつそみの 人なる我や 明日よりは二上山を 弟世と我が見む」(万葉集巻2-165)。この歌を根拠として、大津皇子は二上山のどこかに葬られたとされています。二上山そのものを弟と想って生きていこうという姉の哀しみが伝わる一首です。

大伯皇女が詠んだ万葉歌碑
<大伯皇女が詠んだ歌碑>

 大津皇子が石川郎女に贈った歌
「あしひきの 山のしづくに、妹待つと 我立ち濡れぬ 山のしづくに」(万葉集巻2-107)。草壁皇子との三角関係で勝ったのはどっちでしょう。

大津皇子が詠んだ万葉歌碑
<大津皇子が詠んだ歌碑>

 「すごく楽しくもあり、二上山の歴史も勉強でき、紅葉、景色もすばらしく最高の一日になりました」とのアンケートをいただきました。全員ケガなく無事に登頂・下山できました。

以上
本文・写真:橋爪生雄

ご好評ツアーの様子(三輪山)

三輪山に神々を訪ねる(2019.12.1)
   -糸魚川の翡翠で勾玉みがき体験-

 大神神社が神体山と仰ぐ三輪山は、古事記・日本書記にも登場する神の山です。皇位継承の本年、その麓にある祭祀遺跡や古墳から出土する鏡・剣・勾玉にも注目して、日本の歴史のあけぼの地を巡ります。

〈行程〉
JR三輪駅→大神神社二の鳥居→拝殿→宝物収蔵庫→狭井神社→山の神遺跡→
月山記念館→茅原大墓古墳→箸墓古墳→翡翠庭園「ひみこの庭」→JR巻向駅(約5㎞)

 師走のお朔日。天気も上々で、スタッフ一同9名と参加者18名がJR三輪駅に集合しました。駅前での挨拶と行程の説明の後、4班に分かれて大神神社に向けて出発です。

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三輪駅前で               お朔日でにぎわう参道と三輪山


3.jpg <大神神社二の鳥居>
 駅からは近道をして二の鳥居までやってきました。
 ここで鳥居の話と記紀に登場する御祭神の大物主神(奥津磐座)、大己貴神(中津磐座)、少彦名神(辺津磐座)の話をして、いよいよ神域に入ります。
 つま先上がりの参道をゆったり進むと、石段の上に拝殿が見えてきます。


<拝殿>
 重要文化財の拝殿は徳川家綱の造営で、平成11年には大修理が行われました。切妻造の主棟に千鳥破風・唐破風の大向拝がつき、江戸時代を代表する建造物です。拝殿奥正面には独特な三つ鳥居があり、山をご神体と拝む古来の信仰形態が今も継承されています。
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<宝物収蔵庫>

 磐座祭祀から発祥した大神神社の長い歴史を知ることができました。


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<狭井神社>

 本社の荒魂をお祀りしています。

 病気平癒の神様で、病にきく御香水は拝殿奥の薬井戸で、三輪山に登るにはここで申し込みます。


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<山の神遺跡>

 狭井神社を出て山への細い道をたどると、4C末~6C初の祭祀遺跡があります。大正7年に偶然見つかった辺津磐座の1つでした。


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<月山記念館と歌碑>

 狭井川のほとり出雲屋敷の辺りにあります。 
 大阪月山派5代目の月山貞利氏によって、現在もその伝統が受け継がれています。
ビデオ見せていただき、丁寧に展示物などの説明もしていただきました。 


<茅原大墓古墳>
 4C末の帆立貝式の前方後円墳で、約86メートルあります。日本初の「笑う人物埴輪」が見つかっています。墳頂に上ると、たたなずく山青垣を一望することが出来ました。
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茅原大墓古墳             古墳頂上からの遠望

<箸墓古墳>
 全長280メートルの日本初の巨大前方後円墳です。今は宮内庁が管理する大市墓となっていますが、この古墳と神の山・三輪山のコラボは絶景です。
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水の抜けた大池・三輪山・箸墓      大池の中を散策

<ひみこの庭>
 午後1時前、ようやく「ひみこの庭」に着きました。昼食後の勾玉作り体験は約1時間。綺麗に艶の出た勾玉に思い思いの色の紐をつけ、首にかけたり、ホルダーにつけたり。また勾玉の取り扱い心得も教えていただきました。
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勾玉選び                勾玉磨き

 神の山の麓を巡りながら、現在まで引き継がれてきた文化にも触れ、日本の長い歴史に想いをはせる一日となりました。盛りたくさんの行程でお疲れさまでした。皆さま有難うございました。


写真:塩見勝彦   文:杉本由美子

ご好評のツアーの様子(講談で、めぐるなら)

講談で、めぐるなら(2019.10.13)
   ~大仏を蘇らせたスゴイ男~

 講談とガイドツアーの初のコラボレーション企画。
奈良市観光大使で奈良まほろばソムリエの会ガイドグループにも所属されている講談師の旭堂南龍さんによる「大仏再建の立役者・公慶上人」の講談を聴いた後、公慶上人ゆかりの東大寺周辺を巡るツアーです。


〈行程〉
奈良商工会議所(講談を聴く)⇒勧進所⇒指図堂⇒東大寺大仏殿⇒俊乗堂・行基堂⇒
二月堂⇒龍松院⇒五劫院⇒今在家バス亭(3.5㎞)



 心配されていた昨日までの雨もあがり、参加者83名、ガイト・スタッフ17名が奈良商工会議所に集まりました。


講談


〈講談〉
 まさかの南龍さんが公慶上人に…
江戸時代の人々に公慶上人が語ったとされる講談「東大寺縁起絵巻」を再現されました。


「その公慶上人のことは、この後のガイドさんから!」と言う展開に驚きつつ、しっかりとバトンを受け取りガイドツアーに出発しました。
 8班に別れ、商工会議所からバスターミナルを抜けて戒壇堂へ。
こちらは苦難の末に来日された鑑真和上が建立されたお堂で、四天王立像が有名です。


勧進所
〈勧進所〉
 公慶上人が龍松院を建てられ、復興の拠点とされた場所です(龍松院は後に現在地に移転)。勧進所の中の公慶堂には公慶上人像が祀られていますが、公開は10/5のみなので今日はお堂の外から写真でご案内です。


 公慶上人が13歳の時、雨ざらしの大仏様を見て自分には傘があるのに大仏様には傘がないと涙し、このとき再建を志したと言われています。再建に生涯をかけ、長い間横になって眠ることはなかったと伝わり、その苦難からか公慶上人像の左目は充血しています。

 ありのままに作られたのですね…と、私も好きなこのエピソードにお客様も聞き入ります。

指図堂
〈指図堂〉
 鎌倉の再建時、大仏殿の再建計画の図面(指図)を収蔵するお堂として用いられま
した。そして復興後、法然上人(圓光大師)ゆかりの霊場とされました。



東大寺
〈大仏殿〉
 何度見ても、やっぱり大きな大仏殿に大仏様。
 天平時代に創建されてから二度焼失していますが、鎌倉時代は重源上人、江戸時代は公慶上人のご尽力により、その都度再建されてきました。この大規模な建造物を二度にわたり再建する事は、私達の想像を遙かに超える苦労があったと感じます。
 現在の大仏様(正式名称:盧舎那仏)は、頭部は江戸時代、体の大部分は鎌倉時代で、創建当時の部分はわずか足や台座の一部を残すのみとなっています。



行基堂
〈俊乗堂・行基堂〉
 大仏殿東側の猫段を上がり、
俊乗堂・行基堂へ。
 俊乗堂は公慶上人が建立され重源上人
座像が、そして行基堂には行基菩薩座像がそれぞれ安置されています。



鐘楼

 〈鐘楼〉
  梵鐘は日本三名鐘のひとつ。
  天平時代のもので奈良太郎とも呼ばれて
 います。重さは26.3トン。現在も毎晩8時に
 その音色を聴くことができます。



二月堂
〈二月堂〉
 二月堂は夕陽スポットしても知られ、今日もとてもいい景色です。
 有名な修二会は、ご本尊の十一面観音様に日常の過ちを懺悔し人々の幸福を祈る
行事で、公慶上人も18回参籠しています。また幾度もの危機を乗り越え、現代まで一度も絶えることなく行われていることは本当に驚きです。

 二月堂を降りて龍松院へ。
 こちらは公慶上人が入寺された旧大喜院で、公慶上人の没後に現在地に移されました。目の前の道は勧進所に続き、公慶上人が通ったとされることから公慶道と呼ばれています。





五劫院
〈五劫院〉
 ご本尊の五劫思惟阿弥陀仏像は、長い時間の難行で髪が伸びた姿を示す、通称アフロヘアーに可愛らしいお顔の仏様。

 お堂裏には公慶上人と、跡を継いだ公盛上人のお墓(五輪塔)が並んでいます。



 公慶上人は再建の完成を見ることなく江戸で亡くなられましたが、奈良に葬ってほしいとの遺言により特別に許可され、ここに埋葬されました。

 最後は五劫院を後にして、今在家バス亭で解散、ここでツアーは終了です。

 お客様には、今まで何気なく歩いていた場所に様々な歴史や物語があることを知り、とても良かったとのお声をいただきました。
 また講談も好評で、今回は講談とガイドツアーを併せて楽しんでいただけたと感じました。

 大仏様に今、傘(大仏殿)があるのは公慶上人のおかげなのだと…皆さまの胸に刻まれた良いツアーになったのではと思います。



写真:磯部勝法・田尻眞教・松田雅善・佐々木むつみ
文:佐々木むつみ

ご好評のツアーの様子(川原寺)

日本初の写経道場・川原寺で写経体験(2019.9.29)
   -飛鳥の❝謎の大寺❞の実像に迫る-

 今回のテーマは、我が国最初の写経道場であった川原寺(現在の弘福寺)での写経の体験。同時に、謎の大寺の実像に迫るため、飛鳥時代の古墳や遺跡などを訪ね、彼岸花咲く飛鳥路を歩きます。

〈行程〉
近鉄飛鳥駅→猿石→鬼の俎・雪隠→天武・持統陵→亀石→八坂神社→川原寺→
川原寺裏山遺跡→川原寺寺域北限→万葉歌碑→羽易の山→定林寺→中尾山古墳→
近鉄飛鳥駅 (約7km)


 9月29日天気は晴れ。しかし日差しが強く秋とは思えぬほどの暑さです。
参加者21名、スタッフ19名が午前12時飛鳥駅に集合しました。


受付風景

 写経場の収容人数の関係から、本日は
二班に分かれて行動します。






<受付の様子 飛鳥駅前>

 川原寺は、飛鳥四大寺に並べられる大寺であったにもかかわらず、創建時期や創建目的が不明の謎の多い大寺です。一方で、日本書紀には、天武天皇2年(673年)に日本で初めてここで写経が行われたとあります。そのような川原寺の概要を案内してから、さあ出発。


向かう欽明陵に


 まずは欽明天皇陵(正面)・猿石へ。
向かう道中もソムリエ解説が続きます。





猿石左 右猿石
<猿石>
 吉備姫王(斉明天皇実母)の檜隈墓にある猿石。左から女、山王権現、法師(僧)、男です。何ともユーモラスな恰好の猿石は、飛鳥京の入口で海外からの使節団をもてなすために造られたとの説があります。


飛鳥彼岸花の

 田んぼの畔には彼岸花が満開です。
黄金色の稲穂とのコントラストがみごとです。


万葉歌碑➀

<檜隈川の万葉歌碑>作者不詳 
          犬養孝氏の揮毫
 『さ檜隈 檜隈川の 瀬を速み 
君が手取らば言寄せむかも』 作者不詳
 (檜隈川を渡るとき瀬が早いからと、
あなたの手を取ったら恋のうわさに
なるかしら)
微笑ましい光景が目に浮かぶようです。


カナヅカ古墳

<カナヅカ古墳>
 中央の緑の小山がカナヅカ古墳
一辺が35mの方墳で、7世紀中頃の築造
です。斉明天皇の母吉備姫王の本当の墓
との説があります。



 周辺の緑に取込まれ、見逃してしまいがちです。

鬼の雪隠 鬼の俎
<鬼の雪隠>                <鬼の俎>

 昔この近くに住む鬼が、「霧」を降らせ通行人を迷わせて捕らえ、「俎」で調理し、食べ「雪隠」で用を足したという伝承があります。「俎」と「雪隠」は、元は一つの石室だったものが二つに分かれたとされますが、なお真相は「霧」に包まれたままです。



天武・持統陵
<天武・持統天皇陵(檜隈大内陵)>
 川原寺の創建や発展に関わったと考え
られる天武天皇と、皇后だった持統天皇
が合葬されている陵墓です。鎌倉時代の
盗掘の取調べ調書「阿不幾乃山陵記」の
発見で、それが判明しました。五段築成
の八角形墳は、藤原京の真南で堂々と
鎮座しています。



亀石
<亀石>
 川原寺境内西南隅の標石とも都の境を
示す目印とも言われます。昔は東を向い
ていたのが、少しずつ移動して現在は南西
を向いているとか。西方向を向いた時には
大和一帯が泥の海になるとの恐ろしい言
い伝えがあります。



八坂神社
<八坂神社(天皇社)>
 日本書紀の記述から、この場所が斉明
天皇の殯の地の可能性があるとされます。
 唐・新羅との戦いのため九州に赴き亡く
なった斉明天皇の無念や、皇子である中
大兄皇子(天智)と大海人皇子(天武)の
悲しみが伝わってきます。


 いよいよ川原寺(現在の弘福寺)へ到着です。
寺川原寺跡から橘   跡五重塔

<川原寺跡から南に橘寺を望む>       <塔の基壇>                
 スケールの大きさがよく分かります。 創建時は五重塔が建っていました。
南北の長さはなんと333mです

大理石の礎石 川原寺山門
<中金堂の、めのう(大理石)の礎石>     <弘福寺の山門>
全部で28個あります。             二班に分かれて写経を体験します。

お話本堂で住職の         様子写経の

<本堂にて住職が寺伝解説>          <いよいよ写経開始>
・飛鳥四大寺の一つ           皆さん、真剣です。きっと良いことが。
・一塔二金堂の珍しい伽藍配置     
・日本で初めての写経誕生の地             
・弘法大師が造った持国天・多聞天
・日本で三番目に古い十二神将

 川原寺は、斉明天皇崩御(661)から近江大津宮遷都(667)までの間に、亡き母斉明天皇の冥福を祈るため、天智天皇により建てられたとする説が通説となっています。

遺跡川原寺裏山 寺域北限遺構

<川原寺裏山遺跡>             <川原寺寺域北限遺構>
 1974年の発掘調査により、寺域西北の裏山から仏教関連の貴重な遺物が多数見つかりました。また、2003年の発掘調査では、寺域北限に金属加工や瓦などの生産を行う工房があったことが分かりました。

万葉歌碑② 万葉歌碑②説明
<橘寺参道入口の万葉歌碑> 作者不詳 犬養孝氏の揮毫
 この歌は、川原寺の仏堂の裏にあった倭琴の面に書いてあったと言います。「智に働けば角が立つ……兎角に人の世は住みにくい」夏目漱石の「草枕」の一節が思い浮かびます。
万葉歌碑③万葉歌碑③説明文万葉歌碑③景色
<橘寺標柱前の万葉歌碑> 作者 柿本人麻呂 坂本信幸氏の揮毫
 「大鳥の羽易(はがい)の山」と題する石碑です。その山は、柿本人麻呂が妻を失った悲しみを歌った”泣血哀慟歌”の長歌末尾に登場し、三輪山を中心に巻向山と竜王山が連なる様子を表現しています(真ん中の写真の説明文の上部)。右の写真は、人麻呂も見たであろう羽易の山の美しい姿です。

定林寺跡

<定林寺跡>
 羽易の山の石碑から最終目的地の中尾山古墳に行く途中に国史跡の「定林寺跡」があります。本日は、入口にある標柱の前を通り過ぎ、最終目的地
の中尾山古墳に向かいました。




中尾山古墳入口の景色


 中尾山古墳の東の登り口あたりは、あすかルビーのイチゴハウスが広がり、その向こうには天武・持統天皇陵が見えます。二つの古墳は、互いに見つめ合うように向かい合っています。祖父母が孫を見守る姿にも写ります。



中尾山古墳 中尾山古墳見学
<中尾山古墳>
 いよいよ最後の目的地の中尾山古墳です。皆さん興味深々、熱心に観察されてます。
三段築成の八角形墳で、石槨は切石組みで、内部空間は1m四方しかなく、火葬骨を納めたものと考えられます。また築造時期も合致することから、被葬者については、天武・持統天皇の孫で707年に飛鳥岡で火葬された文武天皇(聖武天皇の父)にあてる説が有力です。

飛鳥駅解散


 無事全員がゴールし、飛鳥駅で解散しま
した。皆さん、お疲れ様でした。










文 /  写真 : 藤田道夫

ご好評ツアーの様子(白毫寺)

世界遺産 元興寺から萩盛りの白毫寺へ(2019.10.5)
   -社家の家並みや新薬師寺をぬけて-

 近鉄奈良駅の南へ徒歩15分にある元興寺は、6世紀末に蘇我馬子が建立した最古の本格的伽藍を持つ飛鳥の法興寺が起源です。中世、智光曼荼羅を中心として庶民の信仰に支えられました。
 奈良町から社家の街並みを抜け、天平時代の国宝の建物や仏像を持つ新薬師寺や萩で有名な関西花の寺の白毫寺を巡るコースです。

〈行程〉
近鉄奈良駅⇒元興寺⇒藤間家⇒不空院⇒新薬師寺⇒南都鏡神社⇒白毫寺 (約6km)

 当日は好天の下、35名の方に参加頂き、4班に分かれて上記コースを巡りました。
以下に、そのガイド風景をご紹介します。

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近鉄奈良駅を4班に分かれて出発。


2.gif

元興寺の国宝の本堂へ。
 
奈良時代以降の古材や飛鳥時代以降の瓦が使われています。


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浮図田から見た本堂、禅堂(国宝) 

奈良時代の建物を鎌倉時代に改造しています。

瓦は行基葺、建物には大仏様の建築手法が使われています。


CIMG5129 (1)

不空院は、不空羂索観音や弁財天が安置されています。

女人救済の寺とも言われていました。


CIMG5130.jpg

新薬師寺の国宝の本堂前です。

ご住職のお話もありました。  

天平時代の軽やかな建物です。

国宝の薬師如来坐像や十二神将像が安置されています。


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白毫寺の美しい階段です。 
  
萩が両側から迫ってきます。


CIMG5169 (1)

萩の花を詠んだ万葉の歌碑です。

高円の 野辺の秋萩 いたずらに 
     咲くかちるらむ 見る人なしに
               笠の金村

昔から萩の名所でした。


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阿弥陀如来坐像など、重要文化財が安置されています。

冥界の十王の内、閻魔王と大山王像があります。


CIMG5173 (1)  CIMG5172.jpg

旅の終わりは白毫寺がいいですね。
奈良市内から生駒山の景色がとても美しく感じられます。

16時に白毫寺で解散しました。皆様お疲れ様でした。


文 : 川村 剛  /  写真 : 森岡 利之

ご好評ツアーの様子(浄瑠璃寺)

浄瑠璃寺・岩船寺と石仏の里へ(2019.5.8)
   ~浄瑠璃寺では特別開帳(三重塔/吉祥天女像)~


 当尾の里は、嘗て平城京の外郭浄土として、興福寺や東大寺にいた高僧や修行僧の隠棲の地となり、官寺では果たせなかった真の仏教を目指して瞑想や思索の聖地として仏教信仰にそそがれた地域でした。聖武天皇が行基菩薩に阿弥陀堂を建立させたのが始まりと伝わる岩船寺と、九体仏で有名な浄瑠璃寺を三重塔と吉祥天女像の特別開扉の日に拝観し、両寺を結ぶ道にある鎌倉・室町時代に彫られた石仏を巡るコースです。

[行程]
JR奈良駅西口(受付9:30) ⇒ 岩船寺(拝観・昼食)⇒ 弥勒仏線刻磨崖像
(ミロクの辻) ⇒ わらい仏・ねむり仏⇒ 阿弥陀・地蔵摩崖仏(カラスの壺) 
⇒ あたご灯籠 ⇒ 藪の中三尊摩崖仏 ⇒ 浄瑠璃寺 ⇒ 近鉄奈良駅 
⇒ JR奈良駅西口(歩行3.2㎞)

 当日は好天の下、16名の方の参加を頂き、2班に分かれ上記コースを巡りました。
以下に、ガイド風景を紹介します。

①JR奈良駅西出口 ②バス
    <奈良駅(JR)西出口>            <バス車内>
 JR奈良駅西出口の15番乗り場で受付を行いました。
 バスが増便となったので、私達だけの乗車となり、移動の時間を利用してコ―スの
概要と当尾の説明をしました。

③岩船寺-1 ④岩船寺-2
     <岩船寺 本堂>            <岩船寺 三重塔>
 岩船寺では、本堂に入りご住職から寺の縁起や阿弥陀如来坐像、四天王立像、
普賢菩薩騎象像などの説明を受けて、堂内の諸仏を拝観しました。
 三重塔では、塔創建の由来、室町時代の再建の歴史を説明し、平成15年の修理時
に復元された初重内部の五大明王図を写真で紹介しました。

⑤岩船寺-3
 

  <十三重石塔>
   塔身の四面に金剛界四仏が梵字で彫り
  刻まれています。



⑥岩船寺-4


  <昼食>
   境内拝観後、休憩所のベンチで昼食を
  いただきました。


⑦弥勒仏線刻磨崖像


   <弥勒仏線彫磨崖像(ミロクの辻)>
  笠置寺本尊の弥勒摩崖仏を写したものと
  言われています。(お顔が摩減している
  のは、眼や耳の病気平癒の祈願のため、
  多くの人が触れたからだと言われてい
  ます。)  



⑧わらい仏へ


  <弥勒線彫摩崖仏からわらい仏へ>
   好天の下、石仏の路を歩きます。


⑨わらい仏 ⑩ねむり仏
      <わらい仏>              <ねむり仏>
 わらい仏は、当尾の石仏群で良く知られている石像の一つです、上の屋根石が庇
となって保存状態が良く、脇侍に蓮台を持つ観音菩薩と合掌する勢至菩薩の配置は、
来迎阿弥陀図を思わせます。
 わらい仏の左側で胸まで土に埋まっているのがねむり仏です。掘り起こせばよさ
そうですが、地元の人の話では、あえて埋めたままにしてあるそうです。

⑪カラスの壺 ⑫阿弥陀・地蔵摩崖仏
      <カラスの壺>           <阿弥陀・地蔵摩崖仏>
 岩の中央に15cmの彫られた穴が唐臼に似ていることから「カラスの壺」と呼ばれて
います。
 阿弥陀・地蔵摩崖仏では、一つの岩の正面に阿弥陀如来坐像と、面を変えて地蔵菩薩
立像が彫られています。左奥の地蔵菩薩立像を拝観するお客様。

⑬随願寺跡の石段 ⑭あたご灯籠
     <随願寺跡の石段>           <あたご灯籠>
  岩船寺と、浄瑠璃寺の間にあったのが、随願寺跡の石段です。 
 あたご灯籠は愛宕講の人が造ったと言われています。

⑮藪の中三尊摩崖仏


  <藪の中三尊摩崖仏>
   中央に地蔵菩薩と向かって右側に長谷寺
  型十一面観音、左側に阿弥陀如来を配置
  する珍しい配置の石仏です。


⑯浄瑠璃寺-1


  <浄瑠璃寺 山門>
   浄瑠璃寺に到着しました。


⑰浄瑠璃寺-2 ⑱浄瑠璃寺
     <ご住職の法話>              <本堂>
 ご住職から、寺の名前が浄瑠璃寺であるのは、創建当時は薬師如来が本尊であった
こと、九品往生に関する阿弥陀如来像の印相などの法話を受けました。
 法話後、本堂に入り九体阿弥陀如来像 (2体は修理中)や幸福の女神である秘仏・
吉祥天女像(特別開扉)、四天王像などを拝観しました。

⑲浄瑠璃寺-4正


  <三重塔正面>
   三重塔内の薬師如来像(特別開扉)を
  拝観しました。塔内は薄暗いので、
  薬師如来像の写真も見て頂きました。


⑳奈良へ

  <奈良へ>
    帰りも、浄瑠璃寺から増便バスを利用
   しました。 解散のご挨拶は車中で行い
   ました。好天に恵まれ、当尾の里を楽し
   む事が出来た1日でした。
    お疲れ様でした。



写真:磯部 勝法  文:森岡 利之

ご好評ツアーの様子(後醍醐天皇)

不屈の帝・後醍醐天皇 吉野の足跡(2019.5.12)
   ~ゆかりの寺社と仏像を訪ねて~


 後醍醐天皇は、天皇自ら挙兵して鎌倉幕府滅亡への流れをつくった異色のリーダーです。何度も討幕の計画が発覚し、隠岐に流されたり、京の都を脱出し吉野に南朝をたてたりと、その生涯は波乱万丈。初夏の吉野を散策しながら、足跡をたどります。

<行程>
近鉄吉野駅→銅の鳥居→吉野朝宮跡→金峯山寺蔵王堂→吉水神社→勝手神社→
五郎兵衛茶屋跡広場(昼食)→如意輪寺→後醍醐天皇塔尾陵→近鉄吉野駅(6.5㎞)

 5月12日午前10時、少し汗ばむほどの初夏の晴天に恵まれ、参加者32名、ガイド・スタッフ10名が吉野駅に集合しました。 

橋2<大橋を渡る>
 新緑の美しい吉野山を眺めながら、七曲の坂を上ります。

 吉野三橋の一つである大橋を渡って進むと、金峯山寺の総門である黒門に到着。
見事な高麗門です。


鳥居2
<銅の鳥居をくぐる>

 金峯山入峯の第一門である銅の鳥居は、銅で造られた鳥居の中では日本最古。

 銅の鳥居をくぐり抜けると、いよいよ国宝 金峯山寺仁王門が見えてきます。


宮跡
<吉野朝宮跡>

 道を折れ、吉野朝宮跡に向かいます。

 京都で足利尊氏との戦に敗れた後醍醐天皇は49歳。
1336年12月、吉野に逃れ、もう一つの朝廷を開きます。
57年にわたる南北朝時代の始まりです。

 その跡地である金輪王寺跡を見学。南朝四帝の歌碑がありました。
袖返す 天津乙女も 思ひ出ずや 吉野の宮の 昔語りを    
                    後醍醐天皇


蔵王堂
<蔵王堂>

 南朝の四天皇に思いを巡らせながら急な石段を上ると、
そこは金峯山寺蔵王堂です。

 桃山時代を代表する荘厳で華やかな建物は、吉野山のシンボル。強い日差しを避けた木陰で、新人ガイドの説明を聞いていただきました。


導きの社2
<後醍醐天皇導きの稲荷>

 階段を下りると、京都を逃れて吉野へ来られる途中、
道に迷われた天皇を導いたといわれる稲荷の社があります。


説明
<一目千本>

 商店が並ぶ通りを歩くと、左手下に吉水神社があります。

 「一目千本」といわれる展望台からは、中・上の千本を一目で見渡せます。桜の時期は過ぎていましたが、新緑がとても美しく爽やかでした。

 境内では後醍醐天皇ゆかりの「十字の詩」の碑や歌碑を拝観します。


 大海人皇子と袖振り山・静御前の舞など、たくさんの伝承がある勝手神社に向かいます。1348年、後村上天皇が高師直の来襲を避けて賀名生に行幸の折、この神前で御馬を下りて、「たのむかいなきにつけても……」と御歌を詠まれたのは有名です。

昼食<五郎兵衛茶屋跡>
 五郎兵衛茶屋跡で昼食をとりました。
休憩所もある花見客の憩いの場所で、桜の古樹が最も多い、吉野山の中心です。

 南北朝を偲んだ幕末の詩人 頼杏坪の石碑を見て、いよいよ如意輪寺に出発です。


道2<下りて上って、もうすぐ如意輪寺>

 急な坂を下りつめた所に、近衛文麿の筆になる昭憲皇太后の歌碑があります。

吉野山陵ちかくなりぬらん 散りゆく花もうちしめりたる

 ここから登り返して、ようやく如意輪寺に到着です。


如意輪寺2 後醍醐天皇塔尾陵
<如意輪寺に到着>         <後醍醐天皇塔尾陵>
 多宝塔・宝物殿には、蔵王権現像や正行公辞世の扉が多くの寺宝とともに保存されています。裏山の後醍醐天皇塔尾陵は、遺詔に従い、北向きに築かれています。

ささやきの小道2
<ささやきの小径>

 新緑が美しい ささやきの小径を吉野駅に向います。

 京都奪回と天下統一をあきらめない、まさに執念の人である後醍醐天皇。その足跡をたどった一日も終わりに近づきました。


 無事、全員がゴールしました。お疲れ様でした。

文・写真 : 牧村良子

ご好評ツアーの様子(當麻の里)

當麻の里 中将姫伝説と花咲く石光寺(2019.4.14)
   ~面かぶり体験と練供養会式~


 中将姫は宝亀6(775)年3月14日、二十五菩薩のお迎えを受け、生きたまま極楽浄土に迎えられました。それを再現した「聖衆来迎練供養会式」は今回で1246回となります。今年から4月14日に執り行われます。練り供養当日しか体験できない面かぶり体験と、周辺の史跡を巡りながら當麻の春を感じていただくツアーです。

<行程>
近鉄当麻寺駅→當麻寺・護念院→福祉ステーション(昼食)→傘堂→鳥谷口古墳→
高雄寺→石光寺→中将姫墓所→當麻寺解散後練り供養見学  (歩行距離5km)


近鉄当麻寺前<近鉄当麻寺駅前>
 4月14日(日)、雲行きが怪しい中、
近鉄当麻寺駅10時に参加者18名、ガイド・サポーター10名が集合しました。


中之坊前<中之坊前>
 中将姫が剃髪した中之坊で、誕生から出家までじっくりお話します。高貴な家柄に生まれた姫が継母の讒言により殺されそうになるも、家臣に助けられ宇陀の山中に匿まれます。父豊成と再会し都に戻りますが、姫は二上山に沈む夕日に極楽浄土の姿を見、當麻寺で出家し尼となります。中将姫伝説を熱心に聞いていただきました。


面かぶり体験<面かぶり体験>
 護念院ではご住職の講話、練り供養のビデオを見た後、ご利益を授かろうと順番に並んで実際に使用されるお面をかぶる体験をします。


當麻寺極楽堂前<當麻寺極楽堂前>
 本堂―今日は極楽堂といいます。その前で由緒を話します。創建時は三論宗。後に真言宗と浄土宗が共存。その不思議な由来の話に関心を持たれ、話に熱が入りました。
 練り供養の日だけ公開される裏板曼荼羅の説明をした後、本堂を拝観します。


山吹咲き誇る小道<山吹咲き誇る小道>
 昼食後傘堂へ向かいます。

 小道には山吹が咲き誇っていました。


傘堂<傘堂>
 傘堂は郡奉行を務めていた吉弘統家が主君の郡山藩主の本多政勝の菩提を弔うため延宝2(1674)年建立した位牌堂がはじまりです。

 いつの頃からか周囲を巡り、安楽往生を願う民間信仰が生まれました。


鳥谷口古墳<鳥谷口古墳>
 鳥谷口古墳は昭和58(1983)年、土取り工事中に偶然発見された7世紀後半の方墳です。横口式石槨と呼ばれる小石室で、石材が家形石棺のふたが転用され、急造された可能性が高いことから、大津皇子の墓ではないかとされている古墳です。写真を見せて変てこであることを説明します。


高雄寺<高雄寺>
 高雄寺では恵心僧都源信にまつわる話をします。子宝に恵まれなかった女性が高雄寺の観音様に願いをかけたところ、授かったのが後の源信です。源信は當麻曼荼羅に帰依して、中将姫の昔を慕い聖衆来迎の様子を再現するために二十五菩薩の装束と仏面を寄進したのが、當麻の練り供養の始まりです。源信の幼少時のエピソードもふまえてお話しました。


石光寺 石光寺牡丹
<石光寺>         <石光寺牡丹>
 石光寺に向かいます。天智天皇の時代に光を放つ石が見つかりこの石に弥勒如来を彫って堂宇を建てたのがはじまりのこのお寺は、1971年弥勒堂改築の際に白鳳期の石造如来坐像が出土し伝説は本当だったと注目されました。

 また、境内には「染の井」、「糸掛桜」があり、中将姫ゆかりの寺でもあります。
葉に乗ったカタツムリ、雨の雫を受けた牡丹を観賞しながら、ゆったりと境内を散策します。

練り供養<練り供養>
 中将姫墓所を抜け當麻寺へ戻ります。
 小雨が降る中、15時半から会式が始まりました。普段なら観音菩薩は両手で蓮台を左右に救い上げる所作を繰り返して進みますが、この日は合掌をしていました。


 天候不順なため実施するか迷いましたが、練り供養見学を心待ちにしていた参加者から、中将姫伝説を聞けて良かった・丁寧な案内で楽しかった・又ガイドをお願いしたいというお声を頂きました。

 傘を閉じたり広げたりと煩わしいこともありましたが、けが人もなく無事終了しました。皆様お疲れ様でした。

文:寺田麻美  写真:西川年文

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ご好評ツアーの様子(大茶盛)

「大茶盛」の西大寺から菅原の里へ(2019.4.20)
   ~大茶盛を特別体験します!~


 近鉄西大寺駅なら徒歩3分の距離にある西大寺は、奈良時代に称徳天皇が創建した、薬師・弥勒の両金堂を始め、東西両塔を含む大寺でしたが、平安時代には衰退し、鎌倉時代の叡尊により再興され、「大茶盛」で広く知られたお寺です。その西大寺の歴史を振り返り、大茶盛を体験します。又、菅原氏の拠点であったあったとされる地域の菅原天満宮、菅原寺(喜光寺)等を訪ね、最後に垂仁天皇陵を訪ねるコースです。
 好天に恵まれ、古刹、神社、遺跡、古墳を散策する奈良ならではのツアーでした。

[行程]
近鉄大和西大寺南口 ⇒ 西大寺 ⇒ 八幡神社 ⇒菅原道真生誕の地 ⇒ 
菅原天満宮 ⇒ 喜光寺 ⇒ 菅原はにわ窯公園 ⇒ 垂仁天皇陵 ⇒ 近鉄尼ヶ辻駅 
(約4.0km)

 当日は好天の下、40名の方に参加頂き、5班に分かれ、上記コースを巡りました。
以下に、そのガイド風景をご紹介します。

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西大寺駅南口で、受付場所をご案内。    受付場所来られた参加者の皆さん。                
                                
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受付後、順次班毎に、西大寺へ出発。          程なく、西大寺に到着。                

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境内伽藍案内図を前に、西大寺の沿革、歴史を説明。
        
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東塔跡で。五重塔は鎌倉時代に再建されるも、1502年に焼失。元々は八角七重の計画であったことを八角の葺石で説明。 
   
CIMG4976.jpg CIMG4974.jpg      
当日は好天に恵まれ、ガイドの場所は木陰も利用しました。

CIMG4977.jpg  
愛染堂の前で、叡尊の念持仏、愛染明王像と興正菩薩叡尊坐像(国宝)を説明。  

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本堂に入り、お寺から西大寺の沿革の説明を受け、釈迦如来立像、文殊菩薩騎獅像等の仏像を拝観しました。
 
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光明殿に入り、僧侶より叡尊が始めた「大茶盛」の由来の説明を受けた後、皆さんの前でお茶が点てられました。 

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 大茶椀のお茶を隣の人に助けてもらいながら味わっておられました。お茶は大変美味しいと評判でした。

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 西大寺の鎮守であった八幡神社に到着。主祭神:気長足姫命、誉田別命、玉依姫命。
 叡尊が修正会の結願のお礼に八幡神社に献茶。その折、参加者にも振る舞ったのが
「大茶盛」の始まりです。

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菅原天満宮遺跡天神掘(伝菅原道真産湯の池)
 京都から元々の拠点であったこの地に戻った菅原道真の母親が道真を生んだ場所として言い伝えられています。尚、菅原道真生誕の地は、菅原院天満宮神社(京都市)、吉祥院天満宮(京都市)等、諸説があります。

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菅原天満宮:祭神(天穂日命、野見宿禰、菅原道真)
 菅原天満宮は、菅原の地を本貫とする土師氏がその祖先を祭ったことに始まります。 天穂日命→野見宿禰(大相撲の祖)→土師氏→菅原道真に至る菅原道真の系譜を説明すると共に、菅原道真が大宰府に左遷された経緯を説明しました。
 又、後で見学する「菅原はにわ公園」の事前知識として、野見宿禰は、殉死の風習に代わる埴輪を提案したことを説明しました。尚、菅原天満宮の南門は修理中でした。

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喜光寺南大門と南大門から本堂を望む 
 古くは、この一帯が菅原氏の治領であったことから「菅原寺」と呼ばれていましたが、聖武天皇が参拝された折り、本尊から不思議な光明が放たれた事から「喜光寺」と改められたと伝わります。晩年「喜光寺」に隠遁した行基は749年、本寺東南院にて82歳で入寂。

CIMG5032.jpg CIMG5033.jpg   
菅原東遺跡(菅原はにわ窯公園)
 古墳時代後期の埴輪窯跡が6基発見された。土師(菅原)氏がこの地に居住し、古墳築造・埴輪の製作に従事した事が裏付けられる遺跡です。復元移築された3号窯の内部を見学しました。

CIMG5041.jpg CIMG5046.jpg                                        
垂仁天皇陵の周濠を歩く参加者の皆さん
 垂仁天皇陵の周濠の南東部は江戸時代(?)に拡張されています。その外堤の一部が残され現在も小島として残っており、伝田道間守の墓として伝わっています。

 伝田道間守の墓を見ながら、班ごとに解散しました。お疲れ様でした。

ご挨拶

奈良まほろばソムリエの会        ガイドグループ

奈良まほろばソムリエの会        ガイドグループ

NPO法人
奈良まほろばソムリエの会

奈良に精通する人材を認定する「奈良まほろばソムリエ検定」(奈良商工会議所主催)の最上級「奈良まほろばソムリエ」の合格者をはじめとする奈良を愛する人々の集まりです。