ご好評ツアーの様子(地域別 リスト)

ご好評ツアーの様子 地域別リスト
  これまでのガイドツアーの様子を掲載しています。



 ★奈良市内
    ディープ探訪“押熊”ってどこ?(2018・12・1)icon4newpink.gif
    年に一度の鑑真像にまみえ古刹三松寺へ(2018.6.5)
    ならまちの中将姫ゆかりの地を巡る(2018.4.15)
    五色の椿が咲く白毫寺をめざして(2018.3.24)
    知られざる?世界遺産・春日山原始林(2017.12.3)
    阿修羅の世界を訪ねる(2017.9.20)



 ★奈良県東方面
    赤坂天王山古墳から聖林寺をめぐる(2019.3.23)icon4newpink.gif
    弥生のメッカ唐古から倭国の首都纏向へ(2018.10.21)
    
天理市東部を縦断する(2017.10.08)
    ミステリーツアー知られざる北山辺の道(2017.3.25)
    粟原から忍坂・外山を巡る(2016.11.05)



 ★奈良県南方面
    有間・草壁皇子を偲んで紀路ウォーク(2019.3.31)icon4newpink.gif
    吉野~飛鳥を結ぶ最短古道(2018.10.14)
    
彼岸花燃ゆる奥飛鳥ウォーク(2018.9.23)
    
蘇我氏ゆかりの飛鳥の地をめぐる(2018.5.13)
    
桜咲く頃、今井町の町並み再発見!(2018.4.1)
    幻の大官大寺を追いかけて(2017.11.19)
    滝の織りなす聖地・吉野龍門の里を歩く(2017.9.30)
    キトラ・マルコ・高松塚の飛鳥三兄弟古墳を散策(2017.4.16)



 ★奈良県西方面
    芭蕉も歩いた古代の官道・竹内街道(2018・11・23)icon4newpink.gif
    大津皇子が眠る二上山の麓を歩く(2018.4.21)
    つらつら椿を愛でる巨勢の道(2018.4.8)
    葛城の道―古代の大豪族・葛城氏の本拠地を巡る(2017.11.5)
    當麻寺「練供養」と中将姫ゆかりの地巡り(2017.5.14)
    郡山百万石の城下散策(2016.10.30)

ご好評ツアーの様子(桜井の里)

赤坂天王山古墳から聖林寺をめぐる(2019.3.23)
   - 春を感じながら桜井の里を歩く -


 古事記にも登場する忍阪の地からのスタートです。古き日本の原風景が色濃く残る押坂坐生根神社、舒明天皇陵を経て石位寺へ。地域の人々の暮らしを垣間見ながら倉橋ふれあい公園では三輪山、音羽山を仰ぎ、古代の人々に思いを馳せました。次に崇峻天皇の墓ではないかと言われている赤坂天王山古墳と、宮内庁指定の崇峻天皇倉梯岡陵を案内。最後に聖林寺ではご住職さまのお話をお聞きし、十一面観音立像の威光に触れていただきました。

<行程>
近鉄大和朝倉駅(集合)→古墳公園→忍阪坐生根神社→玉津島明神→舒明天皇陵→
鏡女王押坂墓→石位寺(昼食)→赤坂天王山古墳→倉橋ふれあい公園→
崇峻天皇倉梯岡陵→聖林寺→桜井駅(解散) (約7km)

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〈大和朝倉駅〉                      〈外鎌山を望む〉
 H31年3月23日(土)、やや肌寒さが残る中にも時折、太陽の恵みを受け、25名が集いました。リピーターの方々や、遠くは神奈川県からも参加していただきました。5班に分かれて、順次、スタートしました。
 
P1100329.jpg〈古墳公園〉 
 朝倉団地造成時に調査され、住宅地公園内に移築されている古墳。特に8号墳は正六角形の石室を持つ古墳で、非常に珍しいもの。考古学資料として一級のものと言われています。


P1100334.jpg〈忍阪坐生根神社〉 
 本殿がなく忍阪山の一部、宮山をご神体としています。
 忍阪地区の人たちが交代で毎日絶えることなく御燈明をあげておられます。


P1100336.jpg〈玉津島明神〉
 絶世の美女と謳われた衣通姫尊(允恭天皇の皇女)が生れたところと伝わっています。


P1100337.jpg〈舒明天皇陵〉
 推古天皇のあとを継いで即位した34代天皇。皇后は皇極天皇(斉明天皇)。天智天皇、天武天皇は子供。
 三段の上に正八角形の墳丘がある特異な終末期古墳。曽孫の文武天皇陵と言われる中尾山古墳まで八角形古墳が続きます。
 明治・大正天皇のモデルにもなった古墳です。


P1100312.jpg〈鏡女王万葉歌碑〉
 鏡女王押坂墓へ行く途中にある犬養孝先生揮毫の歌碑  
 古代から変わらぬせせらぎを背景に、カセットから流れる犬養節を聞いていただきました。


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P1100344.jpg〈石位寺〉
 我が国に現存する最も古い完形の石彫り三尊仏である白鳳時代の伝薬師三尊像(重文)を拝観しました。この石仏は、2020年1月15日から3月18日まで東京国立博物館で「日本書紀成立1300年記念」の行事の一環として大和の名品として紹介されます。この4月からしばらく石位寺を留守にされます。


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 忍阪地区のみなさまのご厚意で石位寺の集会所を昼食場所に貸していただきました。


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〈赤坂天王山古墳〉
 時代考証的にみて崇峻天皇の墓ではないかと言われています。



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〈倉橋ふれあい公園〉
 平成17年に公園として整備されました。池の周囲には約4kmの遊歩道があり、
ウオーキングには絶好の場所となっています。桜のつぼみが膨らみかけていました。
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 音羽山を遠望            崇峻天皇の宮跡の碑

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〈崇峻天皇倉梯岡陵〉
 全グループが集合して聖林寺へ向かいました。

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〈聖林寺〉
 ご住職さまにお願いをして、聖林寺の歴史、ご本尊の子安延命地蔵の由来、(国宝)十一面観音立像等についてご説明をして頂きました。みなさまと良い時間を共有することができました。

 春がそこまで来ている季節の移ろいを感じながら、忍阪から聖林寺へ約7km歩きました。日本人が培ってきた思い、歴史の重みを忍阪地区の人々から学ぶことができました。聖林寺ではご住職さまのお話をお聞きし、十一面観音立像を身近に感じることができました。みなさんに喜んでいただけたことと思います。みなさま有難うございました。


写真:西川年文  文:横井洋子

ご好評ツアーの様子(紀路ウォーク)

有間・草壁皇子を偲んで紀路ウォーク(2019.3.31)
   -古代の幹線道を飛鳥から市尾へ-


 激動の飛鳥時代を駆け抜けた二人の皇子、有間皇子と草壁皇子。どのような青春を送ったか、想いを馳せながら、桜や春の草花に彩られた早春の紀路(奈良と和歌山を結ぶ古代の幹線道)を散策します。

<行程>
近鉄飛鳥駅→束明神古墳→岡宮天皇陵→森カシ谷遺跡→高取中央公園(昼食)→
森ヲチヲサ遺跡→吉備川周辺→市尾墓山古墳→市尾宮塚古墳→市尾(高台)瓦窯跡→
市尾駅 (約7km)

 3月31日、夜明け前の雷雨も上がり、少し汗ばむほどの春らしい陽気です。参加者52名、ガイド・スタッフ16名が、午前10時、飛鳥駅に集合しました。
①受付の様子 ②多武峰ランナー
<受付の様子:飛鳥駅前>          <横では、多武峰20kmランナ-達>

 今回のテーマの一つは「紀路」。飛鳥から和歌山への古代の幹線道。この紀路から、中国、朝鮮半島の文化や渡来人を受け入れ、日本古代の文化は飛躍的に進歩発展しました。

 今日の行程を説明し、紀路を南下、さあ出発。

③工程の説明 ④飛鳥から見た紀路
<行程の説明>                    <飛鳥から見た紀路>

 もう一つのテーマは「草壁皇子」。天武・持統天皇の後継者として、期待されました。そして、皇太子となり、多くの人から慕われ、恋も。しかし、28歳で亡くなりました。

⑤マルコ山古墳<マルコ山古墳>
 高松塚古墳、キトラ古墳の兄弟。六角形墳から格上の被葬者?(川島皇子か)

 紀路からマルコ山古墳を遠望して、草壁皇子のエピソードを聞きながら、束明神古墳に行きます。


⑥束明神古墳 ⑦束明神古墳発掘時
<束明神古墳(草壁皇子墓?)>     <発掘時:束明神古墳石槨>
 束明神古墳は450個以上の凝灰岩切石が整然と積み上げられ、三段築成八角墳から草壁皇子の墓とされています。
⑧束明神古墳説明の様子 ⑨丹波佐吉狛犬
<束明神古墳の説明の様子>              <狛犬が陵を守る>
⑩岡宮天皇陵<岡宮天皇陵>
 ところが、宮内庁は岡宮天皇陵を草壁皇子の墓としています。



⑪森カシ谷遺跡 ⑫森カシ谷遺跡の前
<森カシ谷遺跡>                   <森カシ谷遺跡の前>
 飛鳥の南入口にあり、「飛鳥を守る砦」として、監視と狼煙による連絡が役割だったと思われます。

 そして、最後のテーマが「有間皇子」。孝徳天皇のただ一人の皇子であったので、斉明天皇、中大兄皇子が留守中に謀反の疑いをかけられました。中大兄皇子の取り調べを受ける為、紀路を通って、滞在先の牟婁(和歌山)向かいます。

 その途中、有間皇子が磐代で詠んだのが、
 「磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また帰り見む」
しかし、再び磐代を訪れることもなく、藤白坂で19歳の生涯を閉じました。

⑬有間皇子の説明
<有間皇子の説明の様子>
 昼食後 高取中央公園リベルテホールにて 


⑭森ヲチヲサ遺跡埋戻後 ⑮森ヲチヲサ遺跡発掘時
<森ヲチヲサ遺跡:埋戻後>           <森ヲチヲサ遺跡:発掘時>
 大壁建物跡が確認され、その中にオンドルを検出しました。5世紀頃、百済等から来た渡来人が住んでいたと考えられます。

⑯薩摩遺跡埋戻後 ⑰薩摩遺跡発掘時
<薩摩遺跡:埋戻後>                 <薩摩遺跡:発掘時>
 薩摩遺跡は国名集落の一つ。大和王権の都作りの為、薩摩から多くの人が呼び寄せられましたが、帰郷できず、住みついたと考えられています。

⑱市尾墓山古墳<市尾墓山古墳>
古墳時代後期、前方後円墳。全長100m。
被葬者は巨勢大臣男人の説も。


⑲古道紀路
 有間皇子は、この景色を見ながら紀路を牟婁へ向かったことでしょう。


⑳市尾宮塚古墳<市尾宮塚古墳>
 市尾墓山古墳よりも新しい前方後円墳。刳抜式家形石棺を見ることが出来ます。

 市尾墓山古墳、市尾宮塚古墳は、当会新人ガイドが定点ガイドを行いました。


?市尾(高台)瓦窯<市尾(高台)瓦窯>
 この窯跡から、藤原京大極殿に使われた瓦が出土しました。


?市尾駅<市尾駅>
 桜やタンポポ、つくしに迎えられ、うららかな紀路に飛鳥時代を感じながら歩きました。

 無事、全員がゴールしました。お疲れ様でした。



文・写真 ガイドグループ)永谷務

ご好評ツアーの様子(押熊)

ディープ探訪“押熊”ってどこ?(2018・12・1)
    - 学園前住宅地の隣に意外な風情と歴史 -


 古代から中世・江戸の歴史を持つ森閑とした社寺や遺跡の風情と、それを取り囲む近代的なニュータウン。普段よく利用する自動車道路を少し入っただけで、意外な光景が現れる、そのギャップを楽しんでいただきます。

<行程>
近鉄高の原駅→石のカラト古墳→万葉の小径→押熊瓦窯→忍熊皇子社→押熊八幡→
常光寺→中山八幡→龍王神社→秋篠寺(約7キロ)


石のカラト古墳石のカラト古墳

 12月1日(土)、師走に入ったというものの比較的暖かく、好天にも恵まれ、24名(他にスタッフ9名)がツアーに参加しました。

 4班に分かれ、まず平城ニュータウンの坂を上り、石のカラト古墳で古代の香りに触れました。



万葉の小径万葉の小径

 続いて、住宅地の中を散策する万葉の小径で万葉歌と植物を学び、押熊瓦窯に向かいます。



押熊瓦窯押熊瓦窯

 平城京の瓦が焼かれていた押熊瓦窯は再現されていますが、訪れる人もなく、住宅地の中にひっそりと佇んでいました。



忍熊皇子社忍熊皇子社

 押熊の古い町並みを抜け、忍熊皇子社に向かいました。

 忍熊皇子社では『日本書紀』に書かれた伝説の説明を行い、古代史の謎に思いを馳せました。



常光寺常光寺

 うっそうと茂る森の中の押熊八幡を経て、常光寺の風情ある参道に向かいます。

 本尊不動明王や秘仏歓喜天を説明すると共に、境内の紅葉を楽しんでいただきました。



中山八幡中山八幡

 中山八幡は小さな丘の上に向かって、順に、舞殿・拝殿・本殿と揃った立派な佇まい。

 綺麗に手入れされ、地元の人に支えられていることを説明しました。




 龍王神社を経て秋篠寺まで歩き、伎芸天にお目にかかって解散しました。

 近隣に居ながら、「知らなかった」 「こんなところがあったのか」 という驚きの声が多く、長丁場でしたが、楽しんで頂けたツアーでした。

ご好評ツアーの様子(竹内街道)

芭蕉も歩いた古代の官道・竹内街道(2018・11・23)
       - 當麻寺から⻑尾神社へ -


 竹内街道は、古代より交通の主要なルートであり、日本遺産にも指定されている所です。有名な俳人松尾芭蕉もこの地を二度訪れ、数句を残しています。
 芭蕉の足跡を訪ね、綿弓塚、孝女伊麻旧居跡等の旧跡を巡ります。

<行程>
近鉄当麻寺駅→相撲館「けはや座」→當麻寺伽藍→中之坊(芭蕉句碑…剃髪堂…
香藕園…書院・茶室…客殿絵天井…霊宝館)→芭蕉の小径→史跡の丘→竹内街道→
法善寺(伊麻旧跡碑)→綿弓塚→鍋塚古墳→磐城小学校(孝女伊麻像)→
大磯虎女旧跡→孝女伊麻旧跡→現徳寺(松柿)→長尾神社→近鉄磐城駅(約6.6キロ)


 11月23日、雲一つない青空の下、二上山の稜線もくっきりと見え、絶好の散策日和です。9名の皆様にご参加を頂き、二つのグループに分かれ出発しました。


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相撲館「けはや座」
 相撲館「けはや座」は、相撲の始祖として知られる「當麻の蹶速」に因み、平成2年5月に開設された建物。近くには當麻蹶速の塚の伝承がある五輪塔(けはや塚)もあります。参道には大輪の菊の鉢植えが並び目を楽しませてくれていました。


DSCN1024.jpg當麻寺東塔

 今回のツアーでは、當麻寺の三堂拝観はしないので、本堂・講堂・金堂と諸仏については外からの案内となりました。

 東塔は、間近から特異な構造(二・三層とも2間、相輪は八輪)について見る事が出来ました。

 西塔は現在修復中で見学できませんが、相輪上部で発見された舎利容器(白鳳期)は国内最古級だったと報じられ、「再建説」が出されています。



芭蕉の句碑 DSCN1029.jpg
芭蕉句碑                 香藕園
 拝観した中之坊は、當麻寺最古の僧房であり、芭蕉句碑、香藕園、客殿絵天井、霊宝館など見学できました。

 香藕園では、若いカップルの前撮りがあり、幸せのお裾分け。公開の松室院天井画(円形で径約70㌢)は、155枚あり、前田青頓、上村敦之らが寄贈した壮麗な作品の数々に暫し見入りました。


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芭蕉の小径               史跡の丘
 東大門の手前の道標に従い小道を歩くと瓦道池、史跡の丘にでます。「芭蕉の小径」と呼ばれている道です。芭蕉は、「野ざらし紀行」(1684年)と「笈の小文」(1688年)の旅路で當麻寺に詣でています。
 
 史跡の丘には、34基から成る古墳群があります。


DSCN1037.jpg竹内街道
 竹内街道は、大和国と河内国を結んだ古代の主要な幹線道路の一つで、堺市大小路から長尾神社付近までの約26㌔の街道。
 
 松尾芭蕉、吉田松陰らもこの地を訪れ、司馬遼太郎が幼少期、少年期に過ごした地でもあり、「日本最古の官道を国宝にすべき」と言わしめた所という案内がありました。



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孝女於伊麻旧跡碑    綿弓塚
 法善寺山門脇には「孝女於伊麻旧跡」碑が建てられ、近くに家跡(推定地)があります。その家には芭蕉も訪問し、直接話を聞き、強い感銘を受けたと記しています。
 
 「綿弓塚」で昼食休憩を取りました。休憩所内には竹内街道、芭蕉に関する資料、綿弓等が展示され、外には「綿弓塚」碑が建っています。


DSCN1046.jpg鍋塚古墳

 直径46㍍の円墳で、5世紀前半の築造と推定されこの辺りでは最古の古墳です。また、神武東征の際に皇軍を迎え討ったとされる長髄彦の墓と言う伝承もあります。



DSCN1058.jpg孝女伊麻像

 葛城市立磐城小学校玄関には、孝女伊麻像が建っています。2月27日の伊麻の追善法要には、同小学校の全児童も参列し、創立以来の行事と言われ、校章も鰻が入っていたという水瓶を図案化しものです。



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孝子の碑
 この地は、孝女伊麻誕生の地とされ、天保11年(1830)に伊麻の孝養を顕彰し旧宅跡に石碑が建立されました。例年2月27日この碑の前で孝女伊麻をしのぶ追善法要が行われています。近くにある水瓶を模した陶製の腰掛にも鰻の図柄が施されています。


DSCN1057.jpg松柿

 孝子の碑のすぐ南に現徳寺があります。境内に、蓮如上人が立ち寄った際に松の木に柿の木を接いだという「松柿」があり、この霊木は今も秋には実を結び、当日も実が数多く生っていました。食べると中風にならないとか。



DSCN1062.jpg長尾神社

 最後に訪れたのが竹内街道の起点である長尾神社。創建は不明ですが、式内大社で、江戸時代には正一位の神階を授けられています。御祭神の水光姫命は白蛇であるとされることから、三輪明神が蛇の頭で、当社が蛇の尾と言う伝承があります。
 ツアーが無事に終えた事に感謝し、お参りしました。



 好天に恵まれ、15000歩程のツアーとなりました。特別公開の天井画を見ることができ、また芭蕉の足跡をたどりながら竹内街道をゆっくりと散策できたのではないかと思います。予定の時間より少し早めに終了できたのも参加された皆様のご協力のお蔭と感謝しています。有難うございました。


文・写真 西川憲

ご好評ツアーの様子(唐古巻向)

弥生のメッカ唐古から倭国の首都纏向へ(H30.10.21)
   -下・中・上ツ道を横断して古代大和を満喫!
       弥生時代から前方後円墳の黎明期を巡る -




 古代の三官道を横断するこのコース、まずは秀吉の時代から江戸期を通して、平野氏の陣屋町、また教行寺の寺内町として栄えた「田原本」をスタート。その後、弥生時代中期を中心とする唐古・鍵遺跡の出土品を集めた「唐古・鍵考古学ミュージアム」を見学。続いて、初瀬川沿いの田園風景を眺めながら、古くは壬申の乱の舞台にもなった「村屋神社」へ。東方に三輪山や箸墓古墳を遠望しながら、初瀬川を渡ると桜井市に入り、御綱祭りがおこなわれる「素戔嗚神社・春日神社」に。最後は、黎明期の前方後円墳が点在する「纏向古墳群」を巡り、3世紀に始まる初期大和政権の中心地であったとされる「纏向遺跡」で、遠く卑弥呼の時代を偲び、古代大和を満喫していただきました。

<行程>
近鉄田原本駅西口広場(集合)→浄照寺・本誓寺・陣屋跡→(下ッ道)→
唐古・鍵考古学ミュージアム→しきのみちはせがわ展望公園・すいせんの丘(昼食)→
村屋神社→(中ツ道)→素戔嗚神社・春日神社→纏向古墳群→纏向遺跡→(上ツ道)→
JR巻向駅(解散)<約7キロ>


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 H30.10.21(日)快晴。朝10.00、お客様
20名、ガイド6名が4班に別れ、近鉄・田原本駅西口広場を、いざ、出発!
 お客様は、主に県内を中心に近畿圏の方でしたが、東は名古屋、西は遠く岩国からもご参加いただきました。

写真は、田原本駅西口広場集合時の様子。



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長屋門の上に立つ太鼓楼が珍しい浄照寺   旧吉野銀行田原本支店
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 かつては国中と呼ばれたほどに繁栄した田原本、教行寺の寺内町、平野氏の陣屋町として発展した歩みを浄照寺と本誓寺で偲び、また、昭和初期の遺産である旧吉野銀行田原本支店(現奈良中央信用金庫)建物やNHK連ドラ「マッサン」の舞台にもなった救主教会を歩きました。
写真左は、救主教会。鬼瓦の紋や窓の桟に十字架が採用されている。



唐古・鍵ミュージアム IMG_4980.jpg
 唐古・鍵考古学ミュージアムでは学芸員(ボランティア・2名)から2,400年前にも遡る弥生時代中期の唐古・鍵遺跡の様子や発掘品の見どころをじっくり解説頂きました。学芸員の適格な解説には、時間を忘れ、皆さん静かに聞き入っていました。
写真は、左が「入れ墨をした馬曳きの埴輪」。右は学芸員から展示品の説明を受ける様子。


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 しきのみちはせがわ展望公園・すいせんの丘に到着。12:00昼食。この公園は1982年の台風の後、蛇行する河川をできるだけなだらかに改修されたもので、その跡を公園化したものです。何か所も小さな公園が続きます。
写真左、はゆったりと流れる初瀬川沿いを歩く参加者。
写真右、は昼食場所のすいせん公園。芝生と石のベンチが点在します。
 皆さん、昼食場所の日陰を探すのに一苦労。


村屋神社 IMG_4958.jpg
村屋神社                     村屋神社境内を散策する参加者
IMG_4966.jpg  古くは物部氏を祀る村屋神社では、この付近、壬申の乱では大和の戦いで大伴吹負率いる大海人皇子軍と近江朝廷方の軍が戦った場所でした。
 戦いの中で上ツ道・中ツ道・下ツ道は既に整備されていて、東国の支援を受けた大伴吹負はその3街道を押さえたと言われます。戦略上の重要な役割を果たしていたんですね。
写真は、萬葉歌碑に興味深く見入る参加者



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 素戔嗚神社と江包地区の鎮守社・春日神社では古くから伝わる「御綱祭り」の様子を写真等で見て頂きました。豊作と子孫繁栄を願うお祭りです。毎年2月9日から11日にかけて大西地区の市杵島神社も含めた3神社で行われています。県の重要無形民俗文化財だそうです。
写真左上は 春日神社の手水鉢に彫られた盃状穴の説明を受ける参加者。
写真右上は 素戔嗚神社の境内。境内には今年御綱祭りに使われた?綱が
      境内隅に置かれていました。
 


 纏向古墳群では、3世紀、初期の纏向型古墳と分類される「矢塚古墳」、「纏向石塚古墳」や「東田大塚古墳」、「勝山古墳」、発生期の前方後円墳を巡りました。

写真は、矢塚古墳の前の様子。説明板には矢塚古墳<墳丘墓>と書かれていました。



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 最後は、3世紀に突如出現したとされる纏向遺跡に向かい、復元された建物跡の柱列前で、写真や図面で説明。複数建物が一定方向に角度を持って建てられていたことや祭祀に使われたと思われる桃の種が大型建物跡近くで大量に出土、その年代が卑弥呼の時代に重なること、海の魚が大量に食されていたことや外来土器が多くの割合で出土したこと、農耕が域内では行われていないこと、少なくとも初期大和政権の中心地であったこと等数多くの発見成果をお話しました。皆さん、いくつもの新発見に興味津々の様子でした。
写真は、纏向遺跡の復元場所での様子(2枚とも)。


IMG_4969.jpg 桜井線の線路を渡り、大神神社やお伊勢さんへの参詣道として賑わった上ツ道に交わる道標を確認後、柿本人麻呂の屋敷跡を通り、14:45頃JR巻向駅で解散しました。

写真は、解散後の巻向駅で帰りの電車を待つ参加者。



 唐古・鍵遺跡の出土品については、ミュージアムで2人の学芸員(ボランティアガイド)の方にお世話になりました。専門的な内容を解りやすく解説頂き、多くの方から感謝の言葉を頂きました。

 また、当日は快晴で、暖かい日に恵まれましたので、皆さん、一日、ゆったり、古の大和の風景に思いを馳せていただきました。


写真:寺田麻美  まとめ:今西秀次

ご好評ツアーの様子(吉野~飛鳥)

吉野~飛鳥を結ぶ最短古道(2018.10.14)
   -藤原道長や本居宣長も通った壺阪越え
 日本最古の伝承放光仏とインド伝統石彫巨大観音像-



 壺阪越えは古代から吉野へ至る重要な峠越道で、宮滝への道です。中世には、大峯山修験者たちの道となり、その後も宇多天皇の宮滝行幸や、藤原道長の金峰山上詣等、平安貴族たちもしきりに往来するようになりました。江戸期には、吉野の蔵王堂への参詣と桜見物に来る一般庶民でたいそう賑わいました。本居宣長が逆に伊勢松阪から吉野を経由して、壺阪越えで飛鳥に向かった記録もあります。

〈行程〉
近鉄六田駅→旧吉野駅跡→柳の渡し→灌頂の滝→トノカイト遺跡→世尊寺→妙楽寺→
蔵王寺龍峯院護摩堂(昼食)→安産の滝→壺阪峠→壺阪寺→壺阪寺バス停→🚎→
近鉄壺阪山駅  (約8km)

 10月14日、昨夜からの雨もあがり天候にも恵まれ、少し汗ばむ程度の歩きやすい陽気でした。参加者20名 ガイド・スッタフ8名、午前10時前には、全員が近鉄六田駅に集合しました。


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近鉄六田駅構内スッタフ集合      近鉄六田駅前駐車場にて                      
 近鉄六田駅前駐車場にて、今日のコースについて説明をしました。参加者が揃った班から、4班に分かれて出発です。


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旧吉野駅跡にて               柳の渡し
 出発してすぐに、大正元年に開業し昭和3年まで利用されていた 吉野軽便鉄道の発着駅の旧吉野駅跡に立ち寄り、説明をしました。
 吉野川沿いの国道を柳の渡しへと歩きます。美吉野橋の西側に柳の木と灯篭・道標が残っていました。多くの人々が吉野川を渡っていった頃が偲ばれます。


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灌頂の滝                   比曽不動尊
 世尊寺へと向かう道中に、役行者ゆかりの灌頂の滝があります。不動尊をお祀りする祠に手を合わせ、橋の上から滝を見て、トノカイト遺跡へと歩きました。地域の人が皆で道路の清掃奉仕活動をしていました。ご苦労様です。


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                       トノカイト遺跡から世尊寺へ
 平成28年の5月に発見・登録されたトノカイト遺跡、現状は水田や畑地・宅地です。発掘調査は行われていませんが、採集品から飛鳥時代の比曽寺創建の、ものづくり工房跡だったのでないかと想定されています。


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世尊寺山門にて              史跡比曽寺跡にて
 比曽寺跡は現在、東西両塔の基壇と礎石、金堂講堂と考えられる礎石が残っています。聖徳太子の創建と伝えられています。世尊寺の名も古くは、吉野寺、比蘇(比曽)寺、現光寺、栗天奉寺、と呼ばれていたことなどについて設明しました。


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本山住職のお話し             世尊寺太子堂                
 貴重な時間を割いて、本山住職から直接にお話しをしていただきました。
 聖徳太子創建の寺46ケ寺の一つであること、三井寺の三重の塔のこと、吉野の地名の発祥の地であること、寺の名が5度も変わったこと、についての歴史や、本堂にお祀りされている仏像や寺に伝わる絵巻物についても詳しく解説していただきました。
 また、境内で育てている大山れんげや樹齢100年の百日紅に純白の花が咲くこと、聖徳太子お手植えの壇上桜(不老長寿の桜)や芭蕉の句碑などのお話しも聞くことができました。お土産に沙羅双樹の葉もいただきました。ありがとうございました。合掌


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本尊薬師如来座像             妙楽寺薬師堂にて
 妙楽寺薬師堂では、寺のご厚意により薬師堂の扉を開けて頂いて、ご本尊を拝見することができました。堂内にも昇って近くから拝見している方もいました。
 平安時代の作とみられる仏像3体は、「阿佐寺」から江戸時代初期に移されたと伝えられています。この阿佐寺は、現光寺の奥の院と伝えられていることについても説明しました。


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役行者像          蔵王寺龍峯院にて
 蔵王寺龍峯院の境内で昼食と休憩をしました。掃除の行き届いたきれいな境内で、椅子に座ってゆったりと昼食を食べることができました。不動明王と役行者像をお祀りしていました。


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安産の滝にて                安産の滝
 蔵王寺龍王院を出発してすぐに、安産の滝に着きました。阿佐寺の滝行場だったことや、この滝に打たれるとお産がしやすい・安産になるとの言い伝えがあることなどを設明しました。
 安産の滝を後に、壺阪峠へと歩きます。谷川のせせらぎの音や小鳥のさえずりを聞きながら、木立の中を通り過ぎる風を感じながら、一歩一歩登って行きました。


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壺阪寺の全景               壺阪寺入口にて
 壺阪峠から下る県道の途中に、寺へと降りる階段があります。壺阪寺の全景と石像群が目に入ってきます。広場で簡単な説明をしてから境内に入りました。


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慈母園と大講堂の前で          仁王門にて
 壺阪寺(正式寺号は南法華寺)は、大宝3年(703)元興寺の僧弁基によって創建されました。西国33カ所観音霊場の6番札所で、ご本尊十一面観世音菩薩像は眼病に霊験あらたかな仏として信仰され、眼病平癒を祈願するものも多く、園内には養護盲老人ホーム慈母園があります。
 お里・沢市の夫婦愛をうたった人形浄瑠璃「壺阪霊験記」の舞台としても有名で、夫婦観音像を安置した慈眼堂があります。


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大釈迦如来石像【壺阪大仏】       仏伝図レリーフ【釈迦一代記】と三重の塔
 大釈迦如来像と前立像は、インドでの奉仕活動のご縁から始まった国際交流・石彫事業の一環として制作されました。仏伝図レリーフは、南インド、カルナタカ州カルカラにおいて、延べ57,000人の石彫師の手によって制作されたものです。
 国指定重要文化財の三重の塔は、文明年間(1469~87)ごろのもので、落ち着きのある美しい塔です。


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大観音石像にて              壺阪寺より畝傍山を望む
 大観音石像は、インドハンセン病救済事業のご縁でインドから招来したものです。20mの巨岩を66個に分割して彫刻し、日本に運ばれ組み立てられました。
 この場所からは、北方への視界が開け、畝傍山から甘樫の丘、飛鳥の里も一望でき、矢田丘陵から生駒山も見えていました。


吉野から飛鳥を結ぶ最短古道
 好天に恵まれた秋の一日を、柳の渡しから世尊寺を訪ね、史跡比曽寺跡で往時を偲びました。世尊寺の本堂では住職のお話に聞き入り、聖徳太子が建立された寺が時代の変遷とともに寺の名も5度も変わったことなど、松尾芭蕉「世にさかる 花にも念佛 まうしけり」 の句が思いを伝えています。
 妙楽寺から安産の滝へ、壺阪峠を目指して登っていきました。お客様も峠越えを楽しんで下さっているようでした。峠からの下りの道から見えた景色は、ここまで登ってきた疲れもふっ飛ぶような素晴らしい眺めでした。
 壺阪寺は、お寺のパンフレットにも記されている「思いやりの心を 広く深く」のもとに福祉事業と国際交流を展開し、木像と石像を融合させた寺院として発展しています。壺阪寺からバスに乗って、近鉄壺阪山駅で解散しました。
                   
 参加者の皆様のご協力により楽しい古道ツアーとなりました。ありがとうございました。


文 写真 ガイドグループ 奥田八尋

ご好評ツアーの様子(奥飛鳥)

彼岸花燃ゆる奥飛鳥ウォーク(2018.9.23)
   -棚田で案山子がお出迎え
       彼岸花満開の棚田、案山子ロードを満喫! -




IMG_0511.jpg汗ばむ快晴の秋分の日、文化庁の重要文化的景観に指定され、日本人の心のふるさととも言える原風景が広がる奥飛鳥地域を巡ります。
34名の皆さんを石舞台古墳バス停にて 
お迎え。
この地が、かつての高市小学校(島庄遺跡)であったことを説明した後、時間どおり出発。ガイド・サポーター14名が案内しました。


<行程>
石舞台バス停⇒マラ石⇒飛鳥稲渕宮殿⇒祝戸地区・西展望台⇒稲渕の棚田・男綱⇒
龍福寺⇒南渕請安墓⇒案山子ロード⇒朝風峠⇒高松塚古墳⇒近鉄飛鳥駅 (約7km)


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<マラ石>
飛鳥川と冬野川が合流し、歌碑がある玉藻橋を通ってマラ石に着きます。マラは元々、僧侶が用いた言葉で、煩悩を意味する梵語(ぼんご)。他の立石と同様に京城・寺域の標識とも言われ、坂田寺の境界を表すとも言われています。
でも、この形って?うふふ( ^ω^)・・・ 

鞍作氏の氏寺であった坂田寺跡へ、足をのばしたグループも。


IMG_0543.jpg<飛鳥稲渕宮殿>
大化の改新の後、中大兄皇子らが難波から飛鳥に戻ってきた時に一時期営んだ飛鳥河辺行宮の有力な候補地と言われています。

飛鳥の保存に尽力された御井敬三氏に因んだ「御井(みい)の湯」のある「祝戸荘」を通って祝戸展望台へ。



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<祝戸西展望台>
階段を登り展望台に到着すると、疲れを癒す眺望が広がります。
眼下に橘寺、川原寺、少し目線上げれば甘樫丘、天の香具山、耳成山を臨むとともに、
矢田丘陵、生駒山を遠望。


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<稲渕の棚田>                          <男綱>
奥飛鳥の入り口に当たる稲渕地区には、日本の棚田百選にも選ばれ、飛鳥川の流れが作り出した高低差50mの傾斜地に300枚以上もの棚田が広がります。のどかで心が洗われます。

稲渕では、飛鳥川と道路を跨いで男綱(かんじょう綱)を渡しています。川づたいに侵入する悪疫を防ぎ、住民を守るための神事と言われています。上流の栢森には、女綱が掛け渡されています。


IMG_0573.jpg<龍福寺>
龍福寺は五龍寺と言われ、義淵僧正が創建したと伝わります。寺内に残る1.8mの層塔(村指定建造物)は、石造層塔では日本最古と言われています。初層軸部四面に「天平勝宝三年歳次辛卯四月二十四日丙子、従二位竹野王」判読できる文字が刻まれ、これがもし事実であれば、我が国に現存する在銘の層塔として最も古いことになります。



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<南渕靖安墓>
南渕靖安は遣隋使として隋に渡り、帰国後、中大兄皇子と中臣鎌足に大陸の新しい知識として儒学などを教え、乙巳の変(大化の改新)に間接的に関わった人物と言われています。請安先生の墓は、稲渕村落の高台にある神明塚にひっそりと建てられています。


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<飛鳥川の飛び石>
万葉歌碑「明日香川 明日も渡らむ 遠き心は 思ほえぬかも」
                    (万葉集 巻11-2701)
飛鳥川に唯一残っている飛び石橋を万葉歌碑の意味に思いをはせながら渡ります。


IMG_2770.jpg 180923 案山子ロード 西郷どん

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<案山子ロード>
すっかり「稲渕の棚田」の秋の風物詩となった第23回案山子ロードのコンテスト。赤、黄、白の彼岸花が咲き誇るなか、多くの人で賑わっていました。
今年のテーマは「日本の童謡」
今年のジャンボ案山子は「西郷どん」!!



180923 彼岸花 赤 180923彼岸花(黄、白)
棚田の畔に咲く今年の彼岸花はイノシシ🐗の被害で例年の6割程度とのことでしたが、田んぼの緑とのコントラストが見事でした。彼岸花は別名、曼殊沙華、その花言葉は、赤色は「情熱」、白は「想うはあなたひとり」、黄色は「思いやりの心」などです。


IMG_0639.jpg<朝風峠>
案山子ロードを更に登り、朝風峠に到着。「朝風」は南渕靖安の故地であったと伝えられています。



高松塚古墳を通って近鉄飛鳥駅にて解散。
汗ばむ陽気のなか、展望台への階段は大変でしたが、見事な眺望で癒されました。その後、のどかな棚田と「日本の童謡」をテーマとした案山子ロードを歩きながら、彼岸花を愛でることができ、ご参加いただいた方には満足いただけたのではないでしょうか。


IMG_0652.jpg前日、駅前にオープンしたばかりの「道の駅飛鳥」にて思い思いの時間を過ごしていただき家路へ。
参加者の皆様、スタッフの皆様、お疲れ様でした。

文・写真 ガイドグループ 白畑 優

ご好評ツアーの様子(座禅体験)

年に一度の鑑真像にまみえ古刹三松寺へ(2018.6.5)
     ~唐招提寺秘仏と大和盆地唯一座禅体験~


鑑真和上坐像の御開帳に合わせて「唐招提寺」を訪ね、「西方院」では秘仏・快慶晩年の作「阿弥陀如来立像」を拝観。大池西岸からは、遠く薬師寺や興福寺五重塔を望み、最後は三松寺でたっぷり90分の座禅体験。

<行程>
近鉄 西ノ京駅→唐招提寺→西方院→龍蔵院(昼食)→大池西岸→三松寺→近鉄 九条駅 
(約5.5キロ)


H30.6.5(火)晴れ。朝9:30、お客様22名、ガイド7名が6班に別れ、近鉄・西ノ京駅を、いざ、出発。お客様は、主に県内を中心に近畿圏の方でしたが、遠くは名古屋方面からも参加いただきました。

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<唐招提寺南大門(再建)>              <江戸時代の改造で屋根が美しい金堂>
唐招提寺では法隆寺東大門を参考にした三棟造の南大門を潜り、境内へ。正面に金堂が現れます。廬舎那仏を初め9体の国宝を拝観しました。 千手観音立像では、大正と平成の修理の模様を対比して説明。保管庫内で、外された大小953本の脇手がその本体を取り囲むように並べられた写真には、皆さんから驚きの声があがりました。


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<講堂の東側から見た全景>
続いて、鑑真和上が当寺を開創するに当たり、平城京の東朝集殿を移築、改造したと言われる講堂に向かいます。堂内には四天王の内、持国天と増長天だけが安置されていました。果たして多聞天と広目天は何処に?

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<5/19撮影・うちわまきの様子。抽選でいただいたうちわ>
鼓楼では、覚盛上人を偲ぶ法要「梵網会(うちわまき)」の謂れと今年の模様を。法要は、お寺の中興の祖・覚盛上人の祥月命日5/19に行われます。今年は朝9時から並んだ500名に、午後2時、鼓楼からうちわが撒かれ、参加できなかった1000名にも抽選(緑の札が当たり)で配られました。今日、売店では1本1000円で販売されていました。

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<奥は工事中の御影堂>
鑑真和上坐像や東山魁夷氏の障壁画を安置する御影堂は現在修理中で、2020年までかかるそうです。今回は、近くまで入ることができ、曳家での工事中の様子の一端を見ることができました。

お身代わり像は、普段の開山堂から地蔵堂に場所を移して展示。その前で「鑑真は目が見えた?」「お身代わり像制作の際、和上像は他の脱活乾漆像とは造像方法が異なる新発見があった」等、近年の研究成果も披露、お客様には、鑑真像をより身近に感じてもらえたようでした。

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鑑真和上の墓所、開山御廟にお参りしました。

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<5/9に撮影した満開の瓊花>
趙紫陽首相から送られた
鑑真の故郷・揚州の花「瓊花」が
墓前に植えられていました。


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<東室と礼堂の前>      <経蔵の前の様子>
東室と礼堂(東室の前8間を改造)の前では、かつての三面僧房の風景を法隆寺の聖霊院、三経院の改造を交えて案内。また、新田部親王邸の米蔵を改造した日本最古の校倉造りの「経蔵」と寺の創建に合わせて建立された少し大きい校倉造りの「宝蔵」を巡ります。

最後に新宝蔵に向い、年に一度の「鑑真和上坐像」にお目にかかりました。

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<西方院の無縁仏の前で>
西の丘にある唐招提寺奥の院、西方院に向かい、快慶晩年の作・秘仏「阿弥陀如来立像」を拝観。境内には中興二世・證玄(覚盛上人の弟弟子)の他、桂昌院や綱吉の帰依が深い護持院隆光の五輪塔があり、また、数多くの無縁仏に圧倒されました。

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<歴代の薬師寺僧の墓>              
少し南に下ると、龍蔵院、薬師寺の奥の院とも呼ばれる墓所。お寺の復興に貢献された高田好胤氏や歴代の薬師寺僧の墓が静かに佇んでいました。
ここで昼食。ちょうど12時でした。

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<大池から東方を遠望する>
さらに南へ、万葉集に「勝間田の池」と詠われた大池西岸を歩き、東方に薬師寺、その先に興福寺五重塔、若草山を遠望。写真家・入江泰吉氏の作品に取り上げられた奈良を代表する風景の一つですが、万葉歌と共に楽しんでいただきました。

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<三松寺門前>                    <座禅に入る様子>
最後は三松寺で座禅体験。まずは皆川住職の法話に始まり、正装に身を包み、達磨太子の大きな絵が掲げられた座禅堂で、座禅開始。脚、手を組み、姿勢を整え、呼吸と心を調えます…。椅子座禅もあり、あっという間の90分でした。

その後、近鉄九条駅に向かい、15:30解散。皆様、お疲れ様でした。

唐招提寺と西方院の秘仏御開帳に合わせた拝観の他に、参加型プランとして座禅体験をセットしましたが、本格的な座禅は初めての方も多く、「楽しい経験をしました」との声を皆さんからいただきました。

座禅参加が思っていたより良かった、よい時間を過ごさせて頂いたとの声が多くの方から寄せられました。また、同様の機会設定を次回期待しますとのご要望もいただきました。

ご好評ツアーの様子(蘇我氏ゆかり)

蘇我氏ゆかりの飛鳥の地をめぐる(2018.5.13)
     ~蘇我本宗家興亡の足跡をたどる~


蘇我氏発祥の伝承地や権勢誇示の儀礼実施の場(軽の衢)最初の仏教受け入れの邸宅跡、蝦夷・入鹿の双墓推定地を訪ね、乙巳の変に至る蘇我本宗家の盛衰の地を歩きました。

<行程>
橿原神宮前駅東口→丈六交差点→軽寺跡→五条野丸山古墳→孝元天皇陵→
和田廃寺跡→豊浦宮跡(向原寺)→甘樫丘→東麓遺跡→小山田古墳→菖蒲池古墳→
五条野宮ケ原1・2号墳→梅山古墳→飛鳥駅 (約10キロ)


天気予報は雨。にもかかわらず21名が参加。5組に分かれて順次出発です。仏教伝来の頃にタイムスリップして古代に思いを馳せ、歴史の舞台を訪ねました。

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<堅塩姫の改葬が行われた軽の衢>
橿原神宮前駅東口の交差点は下つ道と山田道が交差し、古代には軽の衢と言われ大いに栄えた地であり、推古20年堅塩姫(欽明天皇の后・稲目の娘)の改葬が大々的に行われたと書紀にあります。

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<五条野丸山古墳>
前方後円墳で時期の異なる石棺が2つ置かれています。被葬者は欽明天皇とも稲目とも。奥棺が堅塩姫のものであったのならば、大々的な儀式後に欽明陵に改葬、欽明陵ならば大々的な儀式後に追葬されたとなります。

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<孝元天皇陵>
第8代孝元天皇陵に。孝元天皇の子孫に武内宿祢が出て、その後裔に蘇我氏が列挙されています。ここは蘇我氏のルーツ?

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<剣池(現石川池)>
御陵の剣池から644年1本の茎から2つの花を咲かせた蓮が見つかり蝦夷は「蘇我が栄える瑞兆だ」と喜び飛鳥寺の仏に献上しますが1年後乙巳の変で滅びます。

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<和田廃寺跡>
この和田の地には蘇我本宗家だけでなく葛木臣、田口臣、田中臣等が群雄割拠していて各々が寺院を建立します。和田廃寺は葛木寺とされ、葛木臣は名家とされていました。

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<豊浦寺跡(向原寺)>
欽明天皇に仏像を授けられた稲目は向原の家を仏堂とします。向原寺境内の下層には稲目の家、豊浦宮、豊浦寺の重層した遺構が見られます。豊浦寺は飛鳥寺とセットになる尼寺です。
盗難に遭って戻ってきた白鳳の観音像を見せてもらい蘇我氏と物部氏の仏教を巡る争いの難波池も覗きました。

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<展望台への道>              <甘樫丘展望台>
甘樫丘の休憩所の屋根から落ちる雨雫を恨めしく見ながらの昼食。雨が本降りとなってきました。甘樫丘に登り、展望台より東に飛鳥寺、北西に豊浦寺跡を眺めます。ここからは飛鳥が一望できます。

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<甘樫丘東麓遺跡>
蝦夷・入鹿は甘樫丘を城塞とし、「上の宮門」「谷の宮門」と呼ぶ邸宅を構えますが、乙巳の変後、蝦夷は邸宅に火をかけ自害。この時天皇記も焼けてしまいました。邸宅跡は夏木立となり緑雨にけぶっていました。

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<小山田古墳・明日香養護学校の敷地内><菖蒲池古墳・奥に石棺がもう1こあります>
蝦夷と入鹿は生前双墓を作ったと日本書紀に書かれていますがそれがどれであるのか?甘樫丘の南にある小山田古墳?菖蒲池古墳?その西方の宅地開発されてしまった五条野宮ケ原1号墳・2号墳も大変怪しく結論はなかなか出そうにありません。2つの双墓を眺め、いったいいずれの方がねむっているのか、などとあれこれ考えながら飛鳥駅へと向かいました。

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<水嵩が増えた池>
蘇我氏のそもそもの成りたちは歴史のなぞです。他の豪族に対して自分の系譜を立てるために伝説的天皇である第8代孝元天皇の子孫であると自称し、天皇家と姻戚関係を結び、蕃神の仏教を取り込むことで、大陸の文化・技術・帰化人を集める力を持ち、天皇家をもしのぐ存在となるや乙巳の変で蘇我本宗家は消えてしまいます。日本書紀は勝者の記録ですので実態は歴史の中に葬られてしまいました。

大雨の中の健脚向きの10kmは靴の中まで濡れてしまいましたが、大変印象深いガイドでしたと喜んでもらえました。ご参加ありがとうございました。

文・写真 ガイドグル―プ 前田景子

ご好評ツアーの様子(二上山)

大津皇子が眠る二上山の麓を歩く(2018.4.21)
     ~悲話を聞き、石光寺から當麻寺へ~


無実の罪で処刑された大津皇子、その無念の物語に触れてみるというのがツアーのコンセプトです。大津皇子ゆかりの加守廃寺、鳥谷口古墳、万葉歌碑を巡り、大津皇子を偲んで歩いて頂きました。

<行程>
近鉄二上神社口→加守廃寺→二上山ふるさと公園→石光寺→高雄寺→
福祉総合ステーション→傘堂→鳥谷口古墳→大伯皇女の歌碑→大津皇子歌碑→
當麻寺(約6km)

4月21日、天候に恵まれ、初夏を思わせる気温の元、心地良い風に吹かれながらのツアーとなりました。午前10時近鉄二上神社口駅に集合し、参加者36名が4班に分かれて出発しました。

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<加守廃寺>                            
南遺跡の今は草で覆われている、長六角堂跡を発掘調査時の画像を見て頂きながら説明しました。

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※加守廃寺から二上山ふるさと公園へ移動途中の
新緑に覆われる、二上山遠望。
二上山が産んだ三つの石や「太陽の道」のお話を
しました。


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※二上山ふるさと公園にて、日陰で小休止を兼ね、
大津皇子にまつわるお話をしました。


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<石光寺>
天智天皇の時代、光明を放つ大石が掘り出され、
天皇はその石に弥勒仏を彫らせて堂を建てて
祀ったという。


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ボタンや藤が満開でした。

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「染の井」の前で中将姫伝説を語りました。

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<高雄寺> 
當麻寺練供養会式を始めたという
恵心僧都源信の話をしました。


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<傘堂>
一本柱の上に屋根だけの建物。
心柱に触れながら3周するとポックリ往生の
願いが叶うと。


鳥谷口古墳
<鳥谷口古墳>
大津皇子の墓だとする説を説明しました。
こんな小さな墓に埋められたのか、
と興味深々に見ておられました。


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<大伯皇女の歌碑> 
ここから、二上山が望めないのが残念です。


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<大津皇子の歌碑>
草壁皇子とは政治上だけでなく、
女性関係でもライバルであった。


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<當麻寺>
お寺の歴史や伽藍配置の特徴を初め、
中将姫伝説と練供養会式を詳しく説明しました。


参加された方は、リピーターの方が多く、目が肥えておられる様子だったので、
運営に気をつかいました。
「関西花の寺」石光寺のボタンは満開でちょうど見ごろでした。
広い庭につつじや藤も咲き誇り、参加された方も、さかんに写真を撮っておられました。
歩行距離もほどよく、皆さんご満足の様子でした。皆さんご参加有難うございました。

文/写真 ガイドグループ 坂口隆信

ご挨拶

奈良まほろばソムリエの会        ガイドグループ

奈良まほろばソムリエの会        ガイドグループ

NPO法人
奈良まほろばソムリエの会

奈良に精通する人材を認定する「奈良まほろばソムリエ検定」(奈良商工会議所主催)の最上級「奈良まほろばソムリエ」の合格者をはじめとする奈良を愛する人々の集まりです。