ご好評ツアーの様子(地域別 リスト)

ご好評ツアーの様子 地域別リスト
  これまでのガイドツアーの様子を掲載しています。



 ★奈良市内
    世界遺産 元興寺から萩盛りの白毫寺へ(2019.10.5)icon4newpink.gif
    浄瑠璃寺・岩船寺と石仏の里へ(2019.5.8)
    「大茶盛」の西大寺から菅原の里へ(2019.4.20)
    ディープ探訪“押熊”ってどこ?(2018・12・1)
    年に一度の鑑真像にまみえ古刹三松寺へ(2018.6.5)
    ならまちの中将姫ゆかりの地を巡る(2018.4.15)
    五色の椿が咲く白毫寺をめざして(2018.3.24)
    知られざる?世界遺産・春日山原始林(2017.12.3)
    阿修羅の世界を訪ねる(2017.9.20)



 ★奈良県東方面
    赤坂天王山古墳から聖林寺をめぐる(2019.3.23)icon4newpink.gif
    弥生のメッカ唐古から倭国の首都纏向へ(2018.10.21)
    
天理市東部を縦断する(2017.10.08)
    ミステリーツアー知られざる北山辺の道(2017.3.25)
    粟原から忍坂・外山を巡る(2016.11.05)



 ★奈良県南方面
    日本初の写経道場・川原寺で写経体験(2019.9.29)icon4newpink.gif
    不屈の帝・後醍醐天皇 吉野の足跡(2019.5.12)
    有間・草壁皇子を偲んで紀路ウォーク(2019.3.31)
    吉野~飛鳥を結ぶ最短古道(2018.10.14)
    
彼岸花燃ゆる奥飛鳥ウォーク(2018.9.23)
    
蘇我氏ゆかりの飛鳥の地をめぐる(2018.5.13)
    
桜咲く頃、今井町の町並み再発見!(2018.4.1)
    幻の大官大寺を追いかけて(2017.11.19)
    滝の織りなす聖地・吉野龍門の里を歩く(2017.9.30)
    キトラ・マルコ・高松塚の飛鳥三兄弟古墳を散策(2017.4.16)



 ★奈良県西方面
    當麻の里 中将姫伝説と花咲く石光寺(2019.4.14) icon4newpink.gif
    芭蕉も歩いた古代の官道・竹内街道(2018・11・23)
    大津皇子が眠る二上山の麓を歩く(2018.4.21)
    つらつら椿を愛でる巨勢の道(2018.4.8)
    葛城の道―古代の大豪族・葛城氏の本拠地を巡る(2017.11.5)
    當麻寺「練供養」と中将姫ゆかりの地巡り(2017.5.14)
    郡山百万石の城下散策(2016.10.30)

ご好評のツアーの様子(川原寺)

日本初の写経道場・川原寺で写経体験(2019.9.29)
   -飛鳥の❝謎の大寺❞の実像に迫る-

 今回のテーマは、我が国最初の写経道場であった川原寺(現在の弘福寺)での写経の体験。同時に、謎の大寺の実像に迫るため、飛鳥時代の古墳や遺跡などを訪ね、彼岸花咲く飛鳥路を歩きます。

〈行程〉
近鉄飛鳥駅→猿石→鬼の俎・雪隠→天武・持統陵→亀石→八坂神社→川原寺→
川原寺裏山遺跡→川原寺寺域北限→万葉歌碑→羽易の山→定林寺→中尾山古墳→
近鉄飛鳥駅 (約7km)


 9月29日天気は晴れ。しかし日差しが強く秋とは思えぬほどの暑さです。
参加者21名、スタッフ19名が午前12時飛鳥駅に集合しました。


受付風景

 写経場の収容人数の関係から、本日は
二班に分かれて行動します。






<受付の様子 飛鳥駅前>

 川原寺は、飛鳥四大寺に並べられる大寺であったにもかかわらず、創建時期や創建目的が不明の謎の多い大寺です。一方で、日本書紀には、天武天皇2年(673年)に日本で初めてここで写経が行われたとあります。そのような川原寺の概要を案内してから、さあ出発。


向かう欽明陵に


 まずは欽明天皇陵(正面)・猿石へ。
向かう道中もソムリエ解説が続きます。





猿石左 右猿石
<猿石>
 吉備姫王(斉明天皇実母)の檜隈墓にある猿石。左から女、山王権現、法師(僧)、男です。何ともユーモラスな恰好の猿石は、飛鳥京の入口で海外からの使節団をもてなすために造られたとの説があります。


飛鳥彼岸花の

 田んぼの畔には彼岸花が満開です。
黄金色の稲穂とのコントラストがみごとです。


万葉歌碑➀

<檜隈川の万葉歌碑>作者不詳 
          犬養孝氏の揮毫
 『さ檜隈 檜隈川の 瀬を速み 
君が手取らば言寄せむかも』 作者不詳
 (檜隈川を渡るとき瀬が早いからと、
あなたの手を取ったら恋のうわさに
なるかしら)
微笑ましい光景が目に浮かぶようです。


カナヅカ古墳

<カナヅカ古墳>
 中央の緑の小山がカナヅカ古墳
一辺が35mの方墳で、7世紀中頃の築造
です。斉明天皇の母吉備姫王の本当の墓
との説があります。



 周辺の緑に取込まれ、見逃してしまいがちです。

鬼の雪隠 鬼の俎
<鬼の雪隠>                <鬼の俎>

 昔この近くに住む鬼が、「霧」を降らせ通行人を迷わせて捕らえ、「俎」で調理し、食べ「雪隠」で用を足したという伝承があります。「俎」と「雪隠」は、元は一つの石室だったものが二つに分かれたとされますが、なお真相は「霧」に包まれたままです。



天武・持統陵
<天武・持統天皇陵(檜隈大内陵)>
 川原寺の創建や発展に関わったと考え
られる天武天皇と、皇后だった持統天皇
が合葬されている陵墓です。鎌倉時代の
盗掘の取調べ調書「阿不幾乃山陵記」の
発見で、それが判明しました。五段築成
の八角形墳は、藤原京の真南で堂々と
鎮座しています。



亀石
<亀石>
 川原寺境内西南隅の標石とも都の境を
示す目印とも言われます。昔は東を向い
ていたのが、少しずつ移動して現在は南西
を向いているとか。西方向を向いた時には
大和一帯が泥の海になるとの恐ろしい言
い伝えがあります。



八坂神社
<八坂神社(天皇社)>
 日本書紀の記述から、この場所が斉明
天皇の殯の地の可能性があるとされます。
 唐・新羅との戦いのため九州に赴き亡く
なった斉明天皇の無念や、皇子である中
大兄皇子(天智)と大海人皇子(天武)の
悲しみが伝わってきます。


 いよいよ川原寺(現在の弘福寺)へ到着です。
寺川原寺跡から橘   跡五重塔

<川原寺跡から南に橘寺を望む>       <塔の基壇>                
 スケールの大きさがよく分かります。 創建時は五重塔が建っていました。
南北の長さはなんと333mです

大理石の礎石 川原寺山門
<中金堂の、めのう(大理石)の礎石>     <弘福寺の山門>
全部で28個あります。             二班に分かれて写経を体験します。

お話本堂で住職の         様子写経の

<本堂にて住職が寺伝解説>          <いよいよ写経開始>
・飛鳥四大寺の一つ           皆さん、真剣です。きっと良いことが。
・一塔二金堂の珍しい伽藍配置     
・日本で初めての写経誕生の地             
・弘法大師が造った持国天・多聞天
・日本で三番目に古い十二神将

 川原寺は、斉明天皇崩御(661)から近江大津宮遷都(667)までの間に、亡き母斉明天皇の冥福を祈るため、天智天皇により建てられたとする説が通説となっています。

遺跡川原寺裏山 寺域北限遺構

<川原寺裏山遺跡>             <川原寺寺域北限遺構>
 1974年の発掘調査により、寺域西北の裏山から仏教関連の貴重な遺物が多数見つかりました。また、2003年の発掘調査では、寺域北限に金属加工や瓦などの生産を行う工房があったことが分かりました。

万葉歌碑② 万葉歌碑②説明
<橘寺参道入口の万葉歌碑> 作者不詳 犬養孝氏の揮毫
 この歌は、川原寺の仏堂の裏にあった倭琴の面に書いてあったと言います。「智に働けば角が立つ……兎角に人の世は住みにくい」夏目漱石の「草枕」の一節が思い浮かびます。
万葉歌碑③万葉歌碑③説明文万葉歌碑③景色
<橘寺標柱前の万葉歌碑> 作者 柿本人麻呂 坂本信幸氏の揮毫
 「大鳥の羽易(はがい)の山」と題する石碑です。その山は、柿本人麻呂が妻を失った悲しみを歌った”泣血哀慟歌”の長歌末尾に登場し、三輪山を中心に巻向山と竜王山が連なる様子を表現しています(真ん中の写真の説明文の上部)。右の写真は、人麻呂も見たであろう羽易の山の美しい姿です。

定林寺跡

<定林寺跡>
 羽易の山の石碑から最終目的地の中尾山古墳に行く途中に国史跡の「定林寺跡」があります。本日は、入口にある標柱の前を通り過ぎ、最終目的地
の中尾山古墳に向かいました。




中尾山古墳入口の景色


 中尾山古墳の東の登り口あたりは、あすかルビーのイチゴハウスが広がり、その向こうには天武・持統天皇陵が見えます。二つの古墳は、互いに見つめ合うように向かい合っています。祖父母が孫を見守る姿にも写ります。



中尾山古墳 中尾山古墳見学
<中尾山古墳>
 いよいよ最後の目的地の中尾山古墳です。皆さん興味深々、熱心に観察されてます。
三段築成の八角形墳で、石槨は切石組みで、内部空間は1m四方しかなく、火葬骨を納めたものと考えられます。また築造時期も合致することから、被葬者については、天武・持統天皇の孫で707年に飛鳥岡で火葬された文武天皇(聖武天皇の父)にあてる説が有力です。

飛鳥駅解散


 無事全員がゴールし、飛鳥駅で解散しま
した。皆さん、お疲れ様でした。










文 /  写真 : 藤田道夫

ご好評ツアーの様子(白毫寺)

世界遺産 元興寺から萩盛りの白毫寺へ(2019.10.5)
   -社家の家並みや新薬師寺をぬけて-

 近鉄奈良駅の南へ徒歩15分にある元興寺は、6世紀末に蘇我馬子が建立した最古の本格的伽藍を持つ飛鳥の法興寺が起源です。中世、智光曼荼羅を中心として庶民の信仰に支えられました。
 奈良町から社家の街並みを抜け、天平時代の国宝の建物や仏像を持つ新薬師寺や萩で有名な関西花の寺の白毫寺を巡るコースです。

〈行程〉
近鉄奈良駅⇒元興寺⇒藤間家⇒不空院⇒新薬師寺⇒南都鏡神社⇒白毫寺 (約6km)

 当日は好天の下、35名の方に参加頂き、4班に分かれて上記コースを巡りました。
以下に、そのガイド風景をご紹介します。

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近鉄奈良駅を4班に分かれて出発。


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元興寺の国宝の本堂へ。
 
奈良時代以降の古材や飛鳥時代以降の瓦が使われています。


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浮図田から見た本堂、禅堂(国宝) 

奈良時代の建物を鎌倉時代に改造しています。

瓦は行基葺、建物には大仏様の建築手法が使われています。


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不空院は、不空羂索観音や弁財天が安置されています。

女人救済の寺とも言われていました。


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新薬師寺の国宝の本堂前です。

ご住職のお話もありました。  

天平時代の軽やかな建物です。

国宝の薬師如来坐像や十二神将像が安置されています。


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白毫寺の美しい階段です。 
  
萩が両側から迫ってきます。


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萩の花を詠んだ万葉の歌碑です。

高円の 野辺の秋萩 いたずらに 
     咲くかちるらむ 見る人なしに
               笠の金村

昔から萩の名所でした。


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阿弥陀如来坐像など、重要文化財が安置されています。

冥界の十王の内、閻魔王と大山王像があります。


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旅の終わりは白毫寺がいいですね。
奈良市内から生駒山の景色がとても美しく感じられます。

16時に白毫寺で解散しました。皆様お疲れ様でした。


文 : 川村 剛  /  写真 : 森岡 利之

ご好評ツアーの様子(浄瑠璃寺)

浄瑠璃寺・岩船寺と石仏の里へ(2019.5.8)
   ~浄瑠璃寺では特別開帳(三重塔/吉祥天女像)~


 当尾の里は、嘗て平城京の外郭浄土として、興福寺や東大寺にいた高僧や修行僧の隠棲の地となり、官寺では果たせなかった真の仏教を目指して瞑想や思索の聖地として仏教信仰にそそがれた地域でした。聖武天皇が行基菩薩に阿弥陀堂を建立させたのが始まりと伝わる岩船寺と、九体仏で有名な浄瑠璃寺を三重塔と吉祥天女像の特別開扉の日に拝観し、両寺を結ぶ道にある鎌倉・室町時代に彫られた石仏を巡るコースです。

[行程]
JR奈良駅西口(受付9:30) ⇒ 岩船寺(拝観・昼食)⇒ 弥勒仏線刻磨崖像
(ミロクの辻) ⇒ わらい仏・ねむり仏⇒ 阿弥陀・地蔵摩崖仏(カラスの壺) 
⇒ あたご灯籠 ⇒ 藪の中三尊摩崖仏 ⇒ 浄瑠璃寺 ⇒ 近鉄奈良駅 
⇒ JR奈良駅西口(歩行3.2㎞)

 当日は好天の下、16名の方の参加を頂き、2班に分かれ上記コースを巡りました。
以下に、ガイド風景を紹介します。

①JR奈良駅西出口 ②バス
    <奈良駅(JR)西出口>            <バス車内>
 JR奈良駅西出口の15番乗り場で受付を行いました。
 バスが増便となったので、私達だけの乗車となり、移動の時間を利用してコ―スの
概要と当尾の説明をしました。

③岩船寺-1 ④岩船寺-2
     <岩船寺 本堂>            <岩船寺 三重塔>
 岩船寺では、本堂に入りご住職から寺の縁起や阿弥陀如来坐像、四天王立像、
普賢菩薩騎象像などの説明を受けて、堂内の諸仏を拝観しました。
 三重塔では、塔創建の由来、室町時代の再建の歴史を説明し、平成15年の修理時
に復元された初重内部の五大明王図を写真で紹介しました。

⑤岩船寺-3
 

  <十三重石塔>
   塔身の四面に金剛界四仏が梵字で彫り
  刻まれています。



⑥岩船寺-4


  <昼食>
   境内拝観後、休憩所のベンチで昼食を
  いただきました。


⑦弥勒仏線刻磨崖像


   <弥勒仏線彫磨崖像(ミロクの辻)>
  笠置寺本尊の弥勒摩崖仏を写したものと
  言われています。(お顔が摩減している
  のは、眼や耳の病気平癒の祈願のため、
  多くの人が触れたからだと言われてい
  ます。)  



⑧わらい仏へ


  <弥勒線彫摩崖仏からわらい仏へ>
   好天の下、石仏の路を歩きます。


⑨わらい仏 ⑩ねむり仏
      <わらい仏>              <ねむり仏>
 わらい仏は、当尾の石仏群で良く知られている石像の一つです、上の屋根石が庇
となって保存状態が良く、脇侍に蓮台を持つ観音菩薩と合掌する勢至菩薩の配置は、
来迎阿弥陀図を思わせます。
 わらい仏の左側で胸まで土に埋まっているのがねむり仏です。掘り起こせばよさ
そうですが、地元の人の話では、あえて埋めたままにしてあるそうです。

⑪カラスの壺 ⑫阿弥陀・地蔵摩崖仏
      <カラスの壺>           <阿弥陀・地蔵摩崖仏>
 岩の中央に15cmの彫られた穴が唐臼に似ていることから「カラスの壺」と呼ばれて
います。
 阿弥陀・地蔵摩崖仏では、一つの岩の正面に阿弥陀如来坐像と、面を変えて地蔵菩薩
立像が彫られています。左奥の地蔵菩薩立像を拝観するお客様。

⑬随願寺跡の石段 ⑭あたご灯籠
     <随願寺跡の石段>           <あたご灯籠>
  岩船寺と、浄瑠璃寺の間にあったのが、随願寺跡の石段です。 
 あたご灯籠は愛宕講の人が造ったと言われています。

⑮藪の中三尊摩崖仏


  <藪の中三尊摩崖仏>
   中央に地蔵菩薩と向かって右側に長谷寺
  型十一面観音、左側に阿弥陀如来を配置
  する珍しい配置の石仏です。


⑯浄瑠璃寺-1


  <浄瑠璃寺 山門>
   浄瑠璃寺に到着しました。


⑰浄瑠璃寺-2 ⑱浄瑠璃寺
     <ご住職の法話>              <本堂>
 ご住職から、寺の名前が浄瑠璃寺であるのは、創建当時は薬師如来が本尊であった
こと、九品往生に関する阿弥陀如来像の印相などの法話を受けました。
 法話後、本堂に入り九体阿弥陀如来像 (2体は修理中)や幸福の女神である秘仏・
吉祥天女像(特別開扉)、四天王像などを拝観しました。

⑲浄瑠璃寺-4正


  <三重塔正面>
   三重塔内の薬師如来像(特別開扉)を
  拝観しました。塔内は薄暗いので、
  薬師如来像の写真も見て頂きました。


⑳奈良へ

  <奈良へ>
    帰りも、浄瑠璃寺から増便バスを利用
   しました。 解散のご挨拶は車中で行い
   ました。好天に恵まれ、当尾の里を楽し
   む事が出来た1日でした。
    お疲れ様でした。



写真:磯部 勝法  文:森岡 利之

ご好評ツアーの様子(後醍醐天皇)

不屈の帝・後醍醐天皇 吉野の足跡(2019.5.12)
   ~ゆかりの寺社と仏像を訪ねて~


 後醍醐天皇は、天皇自ら挙兵して鎌倉幕府滅亡への流れをつくった異色のリーダーです。何度も討幕の計画が発覚し、隠岐に流されたり、京の都を脱出し吉野に南朝をたてたりと、その生涯は波乱万丈。初夏の吉野を散策しながら、足跡をたどります。

<行程>
近鉄吉野駅→銅の鳥居→吉野朝宮跡→金峯山寺蔵王堂→吉水神社→勝手神社→
五郎兵衛茶屋跡広場(昼食)→如意輪寺→後醍醐天皇塔尾陵→近鉄吉野駅(6.5㎞)

 5月12日午前10時、少し汗ばむほどの初夏の晴天に恵まれ、参加者32名、ガイド・スタッフ10名が吉野駅に集合しました。 

橋2<大橋を渡る>
 新緑の美しい吉野山を眺めながら、七曲の坂を上ります。

 吉野三橋の一つである大橋を渡って進むと、金峯山寺の総門である黒門に到着。
見事な高麗門です。


鳥居2
<銅の鳥居をくぐる>

 金峯山入峯の第一門である銅の鳥居は、銅で造られた鳥居の中では日本最古。

 銅の鳥居をくぐり抜けると、いよいよ国宝 金峯山寺仁王門が見えてきます。


宮跡
<吉野朝宮跡>

 道を折れ、吉野朝宮跡に向かいます。

 京都で足利尊氏との戦に敗れた後醍醐天皇は49歳。
1336年12月、吉野に逃れ、もう一つの朝廷を開きます。
57年にわたる南北朝時代の始まりです。

 その跡地である金輪王寺跡を見学。南朝四帝の歌碑がありました。
袖返す 天津乙女も 思ひ出ずや 吉野の宮の 昔語りを    
                    後醍醐天皇


蔵王堂
<蔵王堂>

 南朝の四天皇に思いを巡らせながら急な石段を上ると、
そこは金峯山寺蔵王堂です。

 桃山時代を代表する荘厳で華やかな建物は、吉野山のシンボル。強い日差しを避けた木陰で、新人ガイドの説明を聞いていただきました。


導きの社2
<後醍醐天皇導きの稲荷>

 階段を下りると、京都を逃れて吉野へ来られる途中、
道に迷われた天皇を導いたといわれる稲荷の社があります。


説明
<一目千本>

 商店が並ぶ通りを歩くと、左手下に吉水神社があります。

 「一目千本」といわれる展望台からは、中・上の千本を一目で見渡せます。桜の時期は過ぎていましたが、新緑がとても美しく爽やかでした。

 境内では後醍醐天皇ゆかりの「十字の詩」の碑や歌碑を拝観します。


 大海人皇子と袖振り山・静御前の舞など、たくさんの伝承がある勝手神社に向かいます。1348年、後村上天皇が高師直の来襲を避けて賀名生に行幸の折、この神前で御馬を下りて、「たのむかいなきにつけても……」と御歌を詠まれたのは有名です。

昼食<五郎兵衛茶屋跡>
 五郎兵衛茶屋跡で昼食をとりました。
休憩所もある花見客の憩いの場所で、桜の古樹が最も多い、吉野山の中心です。

 南北朝を偲んだ幕末の詩人 頼杏坪の石碑を見て、いよいよ如意輪寺に出発です。


道2<下りて上って、もうすぐ如意輪寺>

 急な坂を下りつめた所に、近衛文麿の筆になる昭憲皇太后の歌碑があります。

吉野山陵ちかくなりぬらん 散りゆく花もうちしめりたる

 ここから登り返して、ようやく如意輪寺に到着です。


如意輪寺2 後醍醐天皇塔尾陵
<如意輪寺に到着>         <後醍醐天皇塔尾陵>
 多宝塔・宝物殿には、蔵王権現像や正行公辞世の扉が多くの寺宝とともに保存されています。裏山の後醍醐天皇塔尾陵は、遺詔に従い、北向きに築かれています。

ささやきの小道2
<ささやきの小径>

 新緑が美しい ささやきの小径を吉野駅に向います。

 京都奪回と天下統一をあきらめない、まさに執念の人である後醍醐天皇。その足跡をたどった一日も終わりに近づきました。


 無事、全員がゴールしました。お疲れ様でした。

文・写真 : 牧村良子

ご好評ツアーの様子(當麻の里)

當麻の里 中将姫伝説と花咲く石光寺(2019.4.14)
   ~面かぶり体験と練供養会式~


 中将姫は宝亀6(775)年3月14日、二十五菩薩のお迎えを受け、生きたまま極楽浄土に迎えられました。それを再現した「聖衆来迎練供養会式」は今回で1246回となります。今年から4月14日に執り行われます。練り供養当日しか体験できない面かぶり体験と、周辺の史跡を巡りながら當麻の春を感じていただくツアーです。

<行程>
近鉄当麻寺駅→當麻寺・護念院→福祉ステーション(昼食)→傘堂→鳥谷口古墳→
高雄寺→石光寺→中将姫墓所→當麻寺解散後練り供養見学  (歩行距離5km)


近鉄当麻寺前<近鉄当麻寺駅前>
 4月14日(日)、雲行きが怪しい中、
近鉄当麻寺駅10時に参加者18名、ガイド・サポーター10名が集合しました。


中之坊前<中之坊前>
 中将姫が剃髪した中之坊で、誕生から出家までじっくりお話します。高貴な家柄に生まれた姫が継母の讒言により殺されそうになるも、家臣に助けられ宇陀の山中に匿まれます。父豊成と再会し都に戻りますが、姫は二上山に沈む夕日に極楽浄土の姿を見、當麻寺で出家し尼となります。中将姫伝説を熱心に聞いていただきました。


面かぶり体験<面かぶり体験>
 護念院ではご住職の講話、練り供養のビデオを見た後、ご利益を授かろうと順番に並んで実際に使用されるお面をかぶる体験をします。


當麻寺極楽堂前<當麻寺極楽堂前>
 本堂―今日は極楽堂といいます。その前で由緒を話します。創建時は三論宗。後に真言宗と浄土宗が共存。その不思議な由来の話に関心を持たれ、話に熱が入りました。
 練り供養の日だけ公開される裏板曼荼羅の説明をした後、本堂を拝観します。


山吹咲き誇る小道<山吹咲き誇る小道>
 昼食後傘堂へ向かいます。

 小道には山吹が咲き誇っていました。


傘堂<傘堂>
 傘堂は郡奉行を務めていた吉弘統家が主君の郡山藩主の本多政勝の菩提を弔うため延宝2(1674)年建立した位牌堂がはじまりです。

 いつの頃からか周囲を巡り、安楽往生を願う民間信仰が生まれました。


鳥谷口古墳<鳥谷口古墳>
 鳥谷口古墳は昭和58(1983)年、土取り工事中に偶然発見された7世紀後半の方墳です。横口式石槨と呼ばれる小石室で、石材が家形石棺のふたが転用され、急造された可能性が高いことから、大津皇子の墓ではないかとされている古墳です。写真を見せて変てこであることを説明します。


高雄寺<高雄寺>
 高雄寺では恵心僧都源信にまつわる話をします。子宝に恵まれなかった女性が高雄寺の観音様に願いをかけたところ、授かったのが後の源信です。源信は當麻曼荼羅に帰依して、中将姫の昔を慕い聖衆来迎の様子を再現するために二十五菩薩の装束と仏面を寄進したのが、當麻の練り供養の始まりです。源信の幼少時のエピソードもふまえてお話しました。


石光寺 石光寺牡丹
<石光寺>         <石光寺牡丹>
 石光寺に向かいます。天智天皇の時代に光を放つ石が見つかりこの石に弥勒如来を彫って堂宇を建てたのがはじまりのこのお寺は、1971年弥勒堂改築の際に白鳳期の石造如来坐像が出土し伝説は本当だったと注目されました。

 また、境内には「染の井」、「糸掛桜」があり、中将姫ゆかりの寺でもあります。
葉に乗ったカタツムリ、雨の雫を受けた牡丹を観賞しながら、ゆったりと境内を散策します。

練り供養<練り供養>
 中将姫墓所を抜け當麻寺へ戻ります。
 小雨が降る中、15時半から会式が始まりました。普段なら観音菩薩は両手で蓮台を左右に救い上げる所作を繰り返して進みますが、この日は合掌をしていました。


 天候不順なため実施するか迷いましたが、練り供養見学を心待ちにしていた参加者から、中将姫伝説を聞けて良かった・丁寧な案内で楽しかった・又ガイドをお願いしたいというお声を頂きました。

 傘を閉じたり広げたりと煩わしいこともありましたが、けが人もなく無事終了しました。皆様お疲れ様でした。

文:寺田麻美  写真:西川年文

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ご好評ツアーの様子(大茶盛)

「大茶盛」の西大寺から菅原の里へ(2019.4.20)
   ~大茶盛を特別体験します!~


 近鉄西大寺駅なら徒歩3分の距離にある西大寺は、奈良時代に称徳天皇が創建した、薬師・弥勒の両金堂を始め、東西両塔を含む大寺でしたが、平安時代には衰退し、鎌倉時代の叡尊により再興され、「大茶盛」で広く知られたお寺です。その西大寺の歴史を振り返り、大茶盛を体験します。又、菅原氏の拠点であったあったとされる地域の菅原天満宮、菅原寺(喜光寺)等を訪ね、最後に垂仁天皇陵を訪ねるコースです。
 好天に恵まれ、古刹、神社、遺跡、古墳を散策する奈良ならではのツアーでした。

[行程]
近鉄大和西大寺南口 ⇒ 西大寺 ⇒ 八幡神社 ⇒菅原道真生誕の地 ⇒ 
菅原天満宮 ⇒ 喜光寺 ⇒ 菅原はにわ窯公園 ⇒ 垂仁天皇陵 ⇒ 近鉄尼ヶ辻駅 
(約4.0km)

 当日は好天の下、40名の方に参加頂き、5班に分かれ、上記コースを巡りました。
以下に、そのガイド風景をご紹介します。

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西大寺駅南口で、受付場所をご案内。    受付場所来られた参加者の皆さん。                
                                
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受付後、順次班毎に、西大寺へ出発。          程なく、西大寺に到着。                

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境内伽藍案内図を前に、西大寺の沿革、歴史を説明。
        
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東塔跡で。五重塔は鎌倉時代に再建されるも、1502年に焼失。元々は八角七重の計画であったことを八角の葺石で説明。 
   
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当日は好天に恵まれ、ガイドの場所は木陰も利用しました。

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愛染堂の前で、叡尊の念持仏、愛染明王像と興正菩薩叡尊坐像(国宝)を説明。  

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本堂に入り、お寺から西大寺の沿革の説明を受け、釈迦如来立像、文殊菩薩騎獅像等の仏像を拝観しました。
 
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光明殿に入り、僧侶より叡尊が始めた「大茶盛」の由来の説明を受けた後、皆さんの前でお茶が点てられました。 

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 大茶椀のお茶を隣の人に助けてもらいながら味わっておられました。お茶は大変美味しいと評判でした。

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 西大寺の鎮守であった八幡神社に到着。主祭神:気長足姫命、誉田別命、玉依姫命。
 叡尊が修正会の結願のお礼に八幡神社に献茶。その折、参加者にも振る舞ったのが
「大茶盛」の始まりです。

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菅原天満宮遺跡天神掘(伝菅原道真産湯の池)
 京都から元々の拠点であったこの地に戻った菅原道真の母親が道真を生んだ場所として言い伝えられています。尚、菅原道真生誕の地は、菅原院天満宮神社(京都市)、吉祥院天満宮(京都市)等、諸説があります。

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菅原天満宮:祭神(天穂日命、野見宿禰、菅原道真)
 菅原天満宮は、菅原の地を本貫とする土師氏がその祖先を祭ったことに始まります。 天穂日命→野見宿禰(大相撲の祖)→土師氏→菅原道真に至る菅原道真の系譜を説明すると共に、菅原道真が大宰府に左遷された経緯を説明しました。
 又、後で見学する「菅原はにわ公園」の事前知識として、野見宿禰は、殉死の風習に代わる埴輪を提案したことを説明しました。尚、菅原天満宮の南門は修理中でした。

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喜光寺南大門と南大門から本堂を望む 
 古くは、この一帯が菅原氏の治領であったことから「菅原寺」と呼ばれていましたが、聖武天皇が参拝された折り、本尊から不思議な光明が放たれた事から「喜光寺」と改められたと伝わります。晩年「喜光寺」に隠遁した行基は749年、本寺東南院にて82歳で入寂。

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菅原東遺跡(菅原はにわ窯公園)
 古墳時代後期の埴輪窯跡が6基発見された。土師(菅原)氏がこの地に居住し、古墳築造・埴輪の製作に従事した事が裏付けられる遺跡です。復元移築された3号窯の内部を見学しました。

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垂仁天皇陵の周濠を歩く参加者の皆さん
 垂仁天皇陵の周濠の南東部は江戸時代(?)に拡張されています。その外堤の一部が残され現在も小島として残っており、伝田道間守の墓として伝わっています。

 伝田道間守の墓を見ながら、班ごとに解散しました。お疲れ様でした。

ご好評ツアーの様子(桜井の里)

赤坂天王山古墳から聖林寺をめぐる(2019.3.23)
   - 春を感じながら桜井の里を歩く -


 古事記にも登場する忍阪の地からのスタートです。古き日本の原風景が色濃く残る押坂坐生根神社、舒明天皇陵を経て石位寺へ。地域の人々の暮らしを垣間見ながら倉橋ふれあい公園では三輪山、音羽山を仰ぎ、古代の人々に思いを馳せました。次に崇峻天皇の墓ではないかと言われている赤坂天王山古墳と、宮内庁指定の崇峻天皇倉梯岡陵を案内。最後に聖林寺ではご住職さまのお話をお聞きし、十一面観音立像の威光に触れていただきました。

<行程>
近鉄大和朝倉駅(集合)→古墳公園→忍阪坐生根神社→玉津島明神→舒明天皇陵→
鏡女王押坂墓→石位寺(昼食)→赤坂天王山古墳→倉橋ふれあい公園→
崇峻天皇倉梯岡陵→聖林寺→桜井駅(解散) (約7km)

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〈大和朝倉駅〉                      〈外鎌山を望む〉
 H31年3月23日(土)、やや肌寒さが残る中にも時折、太陽の恵みを受け、25名が集いました。リピーターの方々や、遠くは神奈川県からも参加していただきました。5班に分かれて、順次、スタートしました。
 
P1100329.jpg〈古墳公園〉 
 朝倉団地造成時に調査され、住宅地公園内に移築されている古墳。特に8号墳は正六角形の石室を持つ古墳で、非常に珍しいもの。考古学資料として一級のものと言われています。


P1100334.jpg〈忍阪坐生根神社〉 
 本殿がなく忍阪山の一部、宮山をご神体としています。
 忍阪地区の人たちが交代で毎日絶えることなく御燈明をあげておられます。


P1100336.jpg〈玉津島明神〉
 絶世の美女と謳われた衣通姫尊(允恭天皇の皇女)が生れたところと伝わっています。


P1100337.jpg〈舒明天皇陵〉
 推古天皇のあとを継いで即位した34代天皇。皇后は皇極天皇(斉明天皇)。天智天皇、天武天皇は子供。
 三段の上に正八角形の墳丘がある特異な終末期古墳。曽孫の文武天皇陵と言われる中尾山古墳まで八角形古墳が続きます。
 明治・大正天皇のモデルにもなった古墳です。


P1100312.jpg〈鏡女王万葉歌碑〉
 鏡女王押坂墓へ行く途中にある犬養孝先生揮毫の歌碑  
 古代から変わらぬせせらぎを背景に、カセットから流れる犬養節を聞いていただきました。


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P1100344.jpg〈石位寺〉
 我が国に現存する最も古い完形の石彫り三尊仏である白鳳時代の伝薬師三尊像(重文)を拝観しました。この石仏は、2020年1月15日から3月18日まで東京国立博物館で「日本書紀成立1300年記念」の行事の一環として大和の名品として紹介されます。この4月からしばらく石位寺を留守にされます。


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 忍阪地区のみなさまのご厚意で石位寺の集会所を昼食場所に貸していただきました。


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〈赤坂天王山古墳〉
 時代考証的にみて崇峻天皇の墓ではないかと言われています。



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〈倉橋ふれあい公園〉
 平成17年に公園として整備されました。池の周囲には約4kmの遊歩道があり、
ウオーキングには絶好の場所となっています。桜のつぼみが膨らみかけていました。
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 音羽山を遠望            崇峻天皇の宮跡の碑

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〈崇峻天皇倉梯岡陵〉
 全グループが集合して聖林寺へ向かいました。

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〈聖林寺〉
 ご住職さまにお願いをして、聖林寺の歴史、ご本尊の子安延命地蔵の由来、(国宝)十一面観音立像等についてご説明をして頂きました。みなさまと良い時間を共有することができました。

 春がそこまで来ている季節の移ろいを感じながら、忍阪から聖林寺へ約7km歩きました。日本人が培ってきた思い、歴史の重みを忍阪地区の人々から学ぶことができました。聖林寺ではご住職さまのお話をお聞きし、十一面観音立像を身近に感じることができました。みなさんに喜んでいただけたことと思います。みなさま有難うございました。


写真:西川年文  文:横井洋子

ご好評ツアーの様子(紀路ウォーク)

有間・草壁皇子を偲んで紀路ウォーク(2019.3.31)
   -古代の幹線道を飛鳥から市尾へ-


 激動の飛鳥時代を駆け抜けた二人の皇子、有間皇子と草壁皇子。どのような青春を送ったか、想いを馳せながら、桜や春の草花に彩られた早春の紀路(奈良と和歌山を結ぶ古代の幹線道)を散策します。

<行程>
近鉄飛鳥駅→束明神古墳→岡宮天皇陵→森カシ谷遺跡→高取中央公園(昼食)→
森ヲチヲサ遺跡→吉備川周辺→市尾墓山古墳→市尾宮塚古墳→市尾(高台)瓦窯跡→
市尾駅 (約7km)

 3月31日、夜明け前の雷雨も上がり、少し汗ばむほどの春らしい陽気です。参加者52名、ガイド・スタッフ16名が、午前10時、飛鳥駅に集合しました。
①受付の様子 ②多武峰ランナー
<受付の様子:飛鳥駅前>          <横では、多武峰20kmランナ-達>

 今回のテーマの一つは「紀路」。飛鳥から和歌山への古代の幹線道。この紀路から、中国、朝鮮半島の文化や渡来人を受け入れ、日本古代の文化は飛躍的に進歩発展しました。

 今日の行程を説明し、紀路を南下、さあ出発。

③工程の説明 ④飛鳥から見た紀路
<行程の説明>                    <飛鳥から見た紀路>

 もう一つのテーマは「草壁皇子」。天武・持統天皇の後継者として、期待されました。そして、皇太子となり、多くの人から慕われ、恋も。しかし、28歳で亡くなりました。

⑤マルコ山古墳<マルコ山古墳>
 高松塚古墳、キトラ古墳の兄弟。六角形墳から格上の被葬者?(川島皇子か)

 紀路からマルコ山古墳を遠望して、草壁皇子のエピソードを聞きながら、束明神古墳に行きます。


⑥束明神古墳 ⑦束明神古墳発掘時
<束明神古墳(草壁皇子墓?)>     <発掘時:束明神古墳石槨>
 束明神古墳は450個以上の凝灰岩切石が整然と積み上げられ、三段築成八角墳から草壁皇子の墓とされています。
⑧束明神古墳説明の様子 ⑨丹波佐吉狛犬
<束明神古墳の説明の様子>              <狛犬が陵を守る>
⑩岡宮天皇陵<岡宮天皇陵>
 ところが、宮内庁は岡宮天皇陵を草壁皇子の墓としています。



⑪森カシ谷遺跡 ⑫森カシ谷遺跡の前
<森カシ谷遺跡>                   <森カシ谷遺跡の前>
 飛鳥の南入口にあり、「飛鳥を守る砦」として、監視と狼煙による連絡が役割だったと思われます。

 そして、最後のテーマが「有間皇子」。孝徳天皇のただ一人の皇子であったので、斉明天皇、中大兄皇子が留守中に謀反の疑いをかけられました。中大兄皇子の取り調べを受ける為、紀路を通って、滞在先の牟婁(和歌山)向かいます。

 その途中、有間皇子が磐代で詠んだのが、
 「磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また帰り見む」
しかし、再び磐代を訪れることもなく、藤白坂で19歳の生涯を閉じました。

⑬有間皇子の説明
<有間皇子の説明の様子>
 昼食後 高取中央公園リベルテホールにて 


⑭森ヲチヲサ遺跡埋戻後 ⑮森ヲチヲサ遺跡発掘時
<森ヲチヲサ遺跡:埋戻後>           <森ヲチヲサ遺跡:発掘時>
 大壁建物跡が確認され、その中にオンドルを検出しました。5世紀頃、百済等から来た渡来人が住んでいたと考えられます。

⑯薩摩遺跡埋戻後 ⑰薩摩遺跡発掘時
<薩摩遺跡:埋戻後>                 <薩摩遺跡:発掘時>
 薩摩遺跡は国名集落の一つ。大和王権の都作りの為、薩摩から多くの人が呼び寄せられましたが、帰郷できず、住みついたと考えられています。

⑱市尾墓山古墳<市尾墓山古墳>
古墳時代後期、前方後円墳。全長100m。
被葬者は巨勢大臣男人の説も。


⑲古道紀路
 有間皇子は、この景色を見ながら紀路を牟婁へ向かったことでしょう。


⑳市尾宮塚古墳<市尾宮塚古墳>
 市尾墓山古墳よりも新しい前方後円墳。刳抜式家形石棺を見ることが出来ます。

 市尾墓山古墳、市尾宮塚古墳は、当会新人ガイドが定点ガイドを行いました。


?市尾(高台)瓦窯<市尾(高台)瓦窯>
 この窯跡から、藤原京大極殿に使われた瓦が出土しました。


?市尾駅<市尾駅>
 桜やタンポポ、つくしに迎えられ、うららかな紀路に飛鳥時代を感じながら歩きました。

 無事、全員がゴールしました。お疲れ様でした。



文・写真 ガイドグループ)永谷務

ご好評ツアーの様子(押熊)

ディープ探訪“押熊”ってどこ?(2018・12・1)
    - 学園前住宅地の隣に意外な風情と歴史 -


 古代から中世・江戸の歴史を持つ森閑とした社寺や遺跡の風情と、それを取り囲む近代的なニュータウン。普段よく利用する自動車道路を少し入っただけで、意外な光景が現れる、そのギャップを楽しんでいただきます。

<行程>
近鉄高の原駅→石のカラト古墳→万葉の小径→押熊瓦窯→忍熊皇子社→押熊八幡→
常光寺→中山八幡→龍王神社→秋篠寺(約7キロ)


石のカラト古墳石のカラト古墳

 12月1日(土)、師走に入ったというものの比較的暖かく、好天にも恵まれ、24名(他にスタッフ9名)がツアーに参加しました。

 4班に分かれ、まず平城ニュータウンの坂を上り、石のカラト古墳で古代の香りに触れました。



万葉の小径万葉の小径

 続いて、住宅地の中を散策する万葉の小径で万葉歌と植物を学び、押熊瓦窯に向かいます。



押熊瓦窯押熊瓦窯

 平城京の瓦が焼かれていた押熊瓦窯は再現されていますが、訪れる人もなく、住宅地の中にひっそりと佇んでいました。



忍熊皇子社忍熊皇子社

 押熊の古い町並みを抜け、忍熊皇子社に向かいました。

 忍熊皇子社では『日本書紀』に書かれた伝説の説明を行い、古代史の謎に思いを馳せました。



常光寺常光寺

 うっそうと茂る森の中の押熊八幡を経て、常光寺の風情ある参道に向かいます。

 本尊不動明王や秘仏歓喜天を説明すると共に、境内の紅葉を楽しんでいただきました。



中山八幡中山八幡

 中山八幡は小さな丘の上に向かって、順に、舞殿・拝殿・本殿と揃った立派な佇まい。

 綺麗に手入れされ、地元の人に支えられていることを説明しました。




 龍王神社を経て秋篠寺まで歩き、伎芸天にお目にかかって解散しました。

 近隣に居ながら、「知らなかった」 「こんなところがあったのか」 という驚きの声が多く、長丁場でしたが、楽しんで頂けたツアーでした。

ご好評ツアーの様子(竹内街道)

芭蕉も歩いた古代の官道・竹内街道(2018・11・23)
       - 當麻寺から⻑尾神社へ -


 竹内街道は、古代より交通の主要なルートであり、日本遺産にも指定されている所です。有名な俳人松尾芭蕉もこの地を二度訪れ、数句を残しています。
 芭蕉の足跡を訪ね、綿弓塚、孝女伊麻旧居跡等の旧跡を巡ります。

<行程>
近鉄当麻寺駅→相撲館「けはや座」→當麻寺伽藍→中之坊(芭蕉句碑…剃髪堂…
香藕園…書院・茶室…客殿絵天井…霊宝館)→芭蕉の小径→史跡の丘→竹内街道→
法善寺(伊麻旧跡碑)→綿弓塚→鍋塚古墳→磐城小学校(孝女伊麻像)→
大磯虎女旧跡→孝女伊麻旧跡→現徳寺(松柿)→長尾神社→近鉄磐城駅(約6.6キロ)


 11月23日、雲一つない青空の下、二上山の稜線もくっきりと見え、絶好の散策日和です。9名の皆様にご参加を頂き、二つのグループに分かれ出発しました。


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相撲館「けはや座」
 相撲館「けはや座」は、相撲の始祖として知られる「當麻の蹶速」に因み、平成2年5月に開設された建物。近くには當麻蹶速の塚の伝承がある五輪塔(けはや塚)もあります。参道には大輪の菊の鉢植えが並び目を楽しませてくれていました。


DSCN1024.jpg當麻寺東塔

 今回のツアーでは、當麻寺の三堂拝観はしないので、本堂・講堂・金堂と諸仏については外からの案内となりました。

 東塔は、間近から特異な構造(二・三層とも2間、相輪は八輪)について見る事が出来ました。

 西塔は現在修復中で見学できませんが、相輪上部で発見された舎利容器(白鳳期)は国内最古級だったと報じられ、「再建説」が出されています。



芭蕉の句碑 DSCN1029.jpg
芭蕉句碑                 香藕園
 拝観した中之坊は、當麻寺最古の僧房であり、芭蕉句碑、香藕園、客殿絵天井、霊宝館など見学できました。

 香藕園では、若いカップルの前撮りがあり、幸せのお裾分け。公開の松室院天井画(円形で径約70㌢)は、155枚あり、前田青頓、上村敦之らが寄贈した壮麗な作品の数々に暫し見入りました。


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芭蕉の小径               史跡の丘
 東大門の手前の道標に従い小道を歩くと瓦道池、史跡の丘にでます。「芭蕉の小径」と呼ばれている道です。芭蕉は、「野ざらし紀行」(1684年)と「笈の小文」(1688年)の旅路で當麻寺に詣でています。
 
 史跡の丘には、34基から成る古墳群があります。


DSCN1037.jpg竹内街道
 竹内街道は、大和国と河内国を結んだ古代の主要な幹線道路の一つで、堺市大小路から長尾神社付近までの約26㌔の街道。
 
 松尾芭蕉、吉田松陰らもこの地を訪れ、司馬遼太郎が幼少期、少年期に過ごした地でもあり、「日本最古の官道を国宝にすべき」と言わしめた所という案内がありました。



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孝女於伊麻旧跡碑    綿弓塚
 法善寺山門脇には「孝女於伊麻旧跡」碑が建てられ、近くに家跡(推定地)があります。その家には芭蕉も訪問し、直接話を聞き、強い感銘を受けたと記しています。
 
 「綿弓塚」で昼食休憩を取りました。休憩所内には竹内街道、芭蕉に関する資料、綿弓等が展示され、外には「綿弓塚」碑が建っています。


DSCN1046.jpg鍋塚古墳

 直径46㍍の円墳で、5世紀前半の築造と推定されこの辺りでは最古の古墳です。また、神武東征の際に皇軍を迎え討ったとされる長髄彦の墓と言う伝承もあります。



DSCN1058.jpg孝女伊麻像

 葛城市立磐城小学校玄関には、孝女伊麻像が建っています。2月27日の伊麻の追善法要には、同小学校の全児童も参列し、創立以来の行事と言われ、校章も鰻が入っていたという水瓶を図案化しものです。



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孝子の碑
 この地は、孝女伊麻誕生の地とされ、天保11年(1830)に伊麻の孝養を顕彰し旧宅跡に石碑が建立されました。例年2月27日この碑の前で孝女伊麻をしのぶ追善法要が行われています。近くにある水瓶を模した陶製の腰掛にも鰻の図柄が施されています。


DSCN1057.jpg松柿

 孝子の碑のすぐ南に現徳寺があります。境内に、蓮如上人が立ち寄った際に松の木に柿の木を接いだという「松柿」があり、この霊木は今も秋には実を結び、当日も実が数多く生っていました。食べると中風にならないとか。



DSCN1062.jpg長尾神社

 最後に訪れたのが竹内街道の起点である長尾神社。創建は不明ですが、式内大社で、江戸時代には正一位の神階を授けられています。御祭神の水光姫命は白蛇であるとされることから、三輪明神が蛇の頭で、当社が蛇の尾と言う伝承があります。
 ツアーが無事に終えた事に感謝し、お参りしました。



 好天に恵まれ、15000歩程のツアーとなりました。特別公開の天井画を見ることができ、また芭蕉の足跡をたどりながら竹内街道をゆっくりと散策できたのではないかと思います。予定の時間より少し早めに終了できたのも参加された皆様のご協力のお蔭と感謝しています。有難うございました。


文・写真 西川憲

ご挨拶

奈良まほろばソムリエの会        ガイドグループ

奈良まほろばソムリエの会        ガイドグループ

NPO法人
奈良まほろばソムリエの会

奈良に精通する人材を認定する「奈良まほろばソムリエ検定」(奈良商工会議所主催)の最上級「奈良まほろばソムリエ」の合格者をはじめとする奈良を愛する人々の集まりです。