トピックス(中将姫ゆかり)

ならまちの中将姫ゆかりの地を巡る(2018.4.15)
     ~徳融寺で當麻曼荼羅絵解き体験~


今回のガイドコンセプトは、普段拝観できないならまちの中将姫ゆかりの寺、
誕生寺・徳融寺・高林寺を巡ることでした。

<行程>
近鉄奈良駅→猿沢池→庚申堂→元興寺小塔院跡→安養寺→誕生寺→徳融寺→
高林寺→元興寺塔跡→奈良市史料保存館  (歩程約3km)


4月15日(日)、雨天の中、14名の参加者、サポーター1名、アシストスタッフ2名が9時半に
近鉄奈良駅に集合。建物内で本日のコース概略を説明します。

近鉄奈良でのあいさつ
<近鉄奈良でのあいさつ>


猿沢池
<猿沢池>
まずは猿沢池に向かいます。池の成り立ちについて説明です。1493年には池が真っ赤に染まるという事件が。
その赤い正体は・・・。
いつも見慣れている光景がまた違って見えました。


庚申堂
<庚申堂>
上ツ道を南下し庚申堂へ。悪病や災難をもってくるという三尸(さんし)の虫はコンニャクと猿が嫌いというお話しを聞きます。屋根の上には見ざる・言わざる・聞かざるの三猿が乗っています


元興寺小塔院跡<元興寺小塔院跡>
すぐ横の細い道を通り元興寺小塔院跡へ。奈良時代の法相宗の高僧護命さんの宝篋印塔の案内です。護命さんが作った“護命味噌”は焼き味噌にゴマ、クルミを混ぜ込んだものです。奈良では“法論(ほろ)味噌” “飛鳥味噌”とも呼ばれています。


安養寺<安養寺>
雨中で足場がぬかるんでいましたが、ゆっくり歩いて安養寺へ向かいます。
安養寺は室町時代の建物です。切妻造、厚板段葺の屋根が仏堂では珍しいとのことで、皆さん傘を差しながら上を向き観察していました。


誕生寺極楽堂床下石仏<誕生寺極楽堂床下石仏>
さて、いよいよ中将姫の世界へ案内されます。姫生誕の地、誕生寺で御住職による中将姫伝説を聞きます。そして涙の和讃。境内には姫が産湯に使ったとされる井戸、極楽堂の下には豊成公が長谷寺で子授かりの祈願をした帰り、川で拾ったとされる石仏があります。


誕生寺での解説
<誕生寺での解説>
お寺を出ると雨があがっていました。資料を用いて中将姫伝説の解説を受けました。


徳融寺虚空塚<徳融寺虚空塚>
すぐ近くの徳融寺では本尊阿弥陀様の横の當麻曼荼羅を、ご住職のゆるやかな語りで始まり最後には謡うような曼荼羅絵解きが行われました。本家曼荼羅の4分の1のサイズで、色鮮やかに刺繍された下方には「旹貞享元甲子暦六月六日」の銘が記されています。その後境内散策です。


徳融寺豊成公中将姫御墓
<豊成公中将姫御墓>
豊成公と中将姫の石塔婆は高林寺にあったものが1677年に移されたものです。


高林寺門前
<高林寺門前>
高林寺は残念ながらご住職が急用で不在となり、門前での案内となりましたが、豊富に写真が用意されており、一同食い入るように見入っていました。


高林寺白牡丹<高林寺白牡丹>
俳人小林月史の句碑「白牡丹 法如尼いまも在(おわ)します」
句碑の横の白牡丹は、その年が暑かろうが寒かろうが中将姫の御会式の日に大輪の白い花を咲かせるといわれています。今年も美しい花を咲かせていました。


元興寺塔跡啼灯籠<元興寺塔跡啼灯籠>
元興寺塔跡へ寄り道をしました。ここの啼灯籠は、江戸時代京都伏見の呉服商人下村家が自宅に持ち帰ったが、毎夜家鳴りするので元の場所に戻したとされます。昭和19年に地震で倒壊し、平成22年に元の姿に修復されました。


奈良市史料博物館
<奈良市史料保存館>
12時半、奈良市史料保存館で解散しました。
企画担当者の入念な下見と豊富な資料で、内容の濃い案内がされました。予約が必要な三ヶ寺を同日で廻ることにより中将姫の世界観に触れることができました。



アンケートでは「一人では見られない、入れない所があって良かった」「テーマが良かった」
「初めて誕生寺のお堂に入った」と満足されたようです。


文・写真 ガイドグループ 寺田麻美

トピックス(今井町)

桜咲く頃、今井町の町並み再発見!(2018.4.1)
     ~中世に還り、往時を偲ぶひとときを~


戦国時代に織田信長と戦ったまち今井町、そして江戸時代に「大和の金は今井に七分」といわれるまで繁栄した町、称念寺を中心とした寺内町としての町並みは、平成5年12月8日に重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。その歴史ある町並みを今に伝える地にタイムスリップし、往時を体感しながら巡りました。

<行程>
近鉄大和八木駅→飛鳥川の桜→蘇武橋→山尾家→旧米谷家(見学)→音村家→
上田家→今西家(見学)→豊田家→称念寺→中橋家→河合家→高木家(見学)→
近鉄八木西口駅  (約3km)


4月1日、朝から好天に恵まれ、気候も散策するにはちょうど良い暖かさでした。
参加者26名 ガイド・スッタフ7名、午後1時前には全員が近鉄大和八木駅に集合していただきました。

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(近鉄大和八木駅構内)         (近鉄大和八木駅前にて)                      
予定より早く参加者が揃った班から出発しました。4班分かれてのスタートです。
早速、近鉄大和八木駅前にて、今井町の歴史や文化について説明をいたしました。

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飛鳥川沿いの道
満開の桜並木の下を今井町へと歩きました。


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赤い橋の蘇武橋を渡ると
今井町のシンボル 樹齢420年(推定)のエノキが、
皆さんを出迎えてくれました。


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いよいよ今井町です。今井町の案内板の前で
コースの案内と今井町・寺内町の歴史や文化について
説明をいたしました。


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(山尾家)                  (山尾家の入り口)
今井まち衆博物館として公開されています。「新堂屋」の屋号をもち両替商として栄えました。

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(米谷家の前で)              (米谷家住宅)
旧米谷家住宅(国指定重要文化財)
「米忠」の屋号をもち、広く金物商を営んでいました。18世紀中ごろの建築で、農家風の民家で、中に入って見学しました。

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(米谷家の土間)             (米谷家の離れの前で)
旧米谷家は、映画やCMの撮影にもよく利用されています。そのCMをスマートホーンで映像を見せながら説明をいたしました。

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音村家住宅(国指定重要文化財)
「細九」の屋号で金物問屋を営んでいました。
17世紀後半頃に主屋を建築しました。
音村家は時代の情勢に合わせて逐次増設、
増築されているので、町屋の発展を知る
貴重な建物であります。


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上田家住宅(国指定重要文化財)
1744年の建築の建物で、惣年寄の任を負い
「壺屋」の屋号をもち酒造業を営んでいました。


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(今西家住宅の西側より)
今西家住宅(国指定重要文化財) 
京都二条城の城郭を思わせる構造で
別名「八つ棟造り」呼ばれている豪壮な建物です。


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(今西家の入口)
歴史を感じさせる重厚なくぐり戸、
ここから中に入りました。


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(今西家の土間)             (土間の小屋組み)
今西家の歴史、特に惣年寄の筆頭としての役目や自治権を得ての裁判についての様子など、ここで生活をしながら、今西家住宅の維持管理や保存することのむつかしさと苦労話などをわかりやすく説明をしていただきました。

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(豊田家(国指定重要文化財))    (道路に敷設された今井町の案内板)

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(称念寺門前)
称念寺本堂(国指定重要文化財)
今井御坊と称され豊臣秀吉から今井の姓を賜る。
吉野太閤花見時には秀吉を招いています。
1887年明治天皇大和行幸の折には、行在所となりました。


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(中橋家住宅(国指定重要文化財)  (河合家住宅(国指定重要文化財)

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(高木家住宅)               (高木家の中を見学)
高木家住宅(国指定重要文化財)
屋号「大東の四条屋」で酒造業を営み、のちに醤油業も営んでいたことや
江戸時代末期の上層町屋の特徴的建物であること、今西家との違いや建物内部の特徴などについて詳しく説明をしていただきました。


桜咲く頃、今井町の町並み再発見!
好天に恵まれた中、ゆっくりと今井の町を巡ることができました。
今西家住宅・高木家住宅では建物内部の見学とわかりやすい説明をしていただきました。
今井の人々の長年にわたっての尽力により、保存と開発の両面から築き上げられた町並みが、
継承保存されている実態に触れあうことができました。
参加者の皆さまのご協力を得て楽しいツアーとなりました。ありがとうございました。

飛鳥川の河川改修工事や道路改修工事にともなって新設された公園で、参加者の皆さまに、
アンケートに回答していただきました。その感想の一部を紹介させていただきます。
・今井町は2回目ですが、楽しい半日でした.ありがとうございました。
 またよろしくお願いします。
・楽しかったです。ありがとうございました。
・楽しかった、今井のすごさにびっくり。また来たいです。
・ゆっくり見学できて良かった.時代の変遷に伴う、家屋の推移も勉強になった。
 今西、高木家を始め丁寧な説明があり、どうもありがとうございました。
・たくさんの家が大切に保存され、人が住まれているのに感心、家の説明がよくわかり
 良かったです。
・とてもよかったです。


文 写真 ガイドグループ 奥田八尋

トピックス(巨勢の道)

つらつら椿を愛でる巨勢の道(2018.4.8)

巨勢路は飛鳥から五條を経て、紀伊あるいは吉野に至る古代の一級道路である。
古代豪族・巨勢氏がこの地を本拠地とした。万葉集に詠われた「つらつら椿」を愛でながら、
その首長たちの墳墓や氏寺などを訪ねる。

<行程>
近鉄葛駅→新宮山古墳→安楽寺塔婆→安楽寺→巨勢寺跡→権現堂古墳→
阿吽寺(昼食)→川合八幡神社→水泥古墳→近鉄薬水駅 (約7.5Km)

4月8日、好天ながら冷え冷えとした天候で、ほとんどの方はダウンジャケットを着ていました。 ご参加26名の皆さんの内、女性は17名と大半を占める。

葛駅集合 新宮山古墳へ
午前10時に4班に分かれて、近鉄葛駅をスタート。

羨道に入る 新宮山古墳
<羨道を進む>             <新宮山古墳>
新宮山古墳には石棺が2基ある。天井にコウモリがいてびっくり。
古墳は初めてだという人も多く、皆 さん興味津々の様子。

安楽寺塔婆<安楽寺塔婆>
鎌倉時代に建立されたとされる三重塔。江戸時代に
初層のみを残して宝形造の屋根に改装された。


巨勢寺跡 巨勢寺心礎
<巨勢寺跡>               <心礎>
巨勢氏の氏寺とされ、塔跡と心礎が残る。
寺域は東西100m、南北200mと大規模であったと判明した。

権現堂古墳 権現堂古墳石枕
<権現堂古墳>             <石枕>
石室の奥壁側が破壊されており、奥壁側から石室内を見る。刳抜家形石棺の中に、奈良では珍しい石枕が造り込まれている。皆さんライトを照らして真剣に見ておられました。

つらつら椿 「つらつら椿」歌碑
<阿吽寺のつばき>          <犬養孝揮毫の歌碑>
「巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲ばな巨勢の春野を」     万葉集 巻1-54

「つらつら椿」を愛でながら昼食。 満開に近い状態だったので、皆さんご満足の様子。

川合八幡神社
<川合八幡神社>
川合八幡神社の祭礼は「ヒキアイモチ行事」。
餅の入った「コグツ」を引き回した後、
男たちが奪い合う勇壮な行事だったとか。


水泥南古墳 水泥古墳蓮華文
<水泥南古墳>             <石棺の蓮華文>
西尾さんご夫婦に暖かくお迎えいただく。 敷地内にある水泥南古墳には奥様にご案内いただく。今木双墓(いまきのならびばか)と呼ばれ、蘇我蝦夷と入鹿の墓とする説があるが、実際の年代と合わない。

水泥北古墳
<水泥北古墳>
水泥北古墳は西尾さん邸の裏庭にある。
石室の中に入り、その大きさを体感していただく。


水泥古墳から薬水駅まで10分ほど歩き解散。天候にも恵まれ、皆さんご満足の様子でした。

お客様アンケートからの抜粋:
「今回始めて古墳の中に入らせてもらったが、これ程興味深いものとは知らなかった」、「一人では行きづらいところにも行くことが出来て良かった」、「見所も多く変化があり、ツアー企画深耕の技あり」、「よく調べられていた」。
と概ね好評価をいただきました。ガイドのし甲斐があったと、一同大変嬉しく思っています。
ご参加の皆様、ありがとうございました。

文/写真 ガイドグループ 河井勇夫

トピックス(北山の辺の道)

五色の椿が咲く白毫寺をめざして(2018.3.24)
     ~帯解寺から北山の辺の道をたどる~

早春の北山の辺の道は、梅や椿の花が咲く静かな趣のある山里の道。御陵や寺社をたどりながら、奈良三名椿の一つである白毫寺の五色の椿を目指して歩く。

<行程>
JR帯解駅→帯解寺→下山八坂神社→円満寺→ベンショ塚古墳→円照寺参道→
崇道天皇八嶋陵→嶋田神社→白山比咩神社(WC)→鹿野園町八阪神社→
白毫寺(約5.5キロ)→高畑町バス停

2018年3月24日(土)、晴れ、参加者26名、ガイドスタッフ9名
午後1時JR帯解駅集合、全員で安産祈願の寺・帯解寺を拝観。

帯解寺山門 帯解寺本堂
(帯解寺山門)              (帯解寺本堂)
帯解寺信徒会館 帯解寺小町の宮
(帯解寺信徒会館)           (小町の宮)
 信徒会館で今年ソムリエ合格者の倉本さん(住職の娘さん)から由緒などの説明を受け、本堂の本尊地蔵菩薩像を拝観した。帯解寺は平安時代の文徳天皇の頃から安産祈願の寺として有名で、江戸時代の徳川将軍家、近年の皇室からも崇敬されている。境内の小野小町が立ち寄ったという伝説が残る「小町の宮」にも立ち寄った。

下山八坂神社 圓満寺
(下山八坂神社)            (円満寺)
 全体を2班に分けて帯解寺からスタート、下山町の「八坂神社・円満寺」を訪れた。八坂神社は江戸時代まで牛頭天皇、明治以降は素戔嗚尊を祀っている氏神さん。同じ境内で向かいにある円満寺は、庚申堂、毘沙門堂とも呼ばれる。奉納された算額でも知られる。

ベンショ塚古墳 円照寺入口
(ベンショ塚古墳)            (円照寺入口)
 次は、ベンショ塚古墳に立ち寄り、円照寺方面に向かった。
 ベンショ塚古墳は、5世紀前半の前方後円墳(全長70m)武具などが出土した。上に稲荷神社がある。
 円照寺は、大和三尼門跡寺院の一つで、山村御殿、山村御所とも呼ばれる、原則非公開。

円照寺参道からの山道 崇道天皇八嶋陵への道
(円照寺参道からの山道)       (崇道天皇八島陵への道)
 円照寺参道の途中から山道に入って、崇道天皇八島陵をめざす。

八島陵前石室古墳・八つ石 崇道天皇八嶋陵
(八つ石)                 (崇道天皇八島陵)
 崇道天皇八島陵とその前の「八つ石」を訪れ、八島町の嶋田神社へ。
 崇道天皇八嶋陵は、奈良時代最後の光仁天皇の第2皇子早良親王の墓。藤原種継暗殺事件に連座し、皇太子を剥奪され、淡路へ流される途中、恨みを飲んで淀川の辺りで餓死した。死にのぞんで9つの石を投げ、石の落ちた所に葬って欲しい遺言したら、そのうち8つの石が八嶋の地で見つかったので、崇道天皇と追号し、ここ「崇道天皇八嶋稜」に葬られた。
 八つ石とは、八島陵前石室古墳。古墳時代後期と見られる。道をふさぐようにあるため、石を取り除こうとすると工事関係者が死んだり病で倒れたりしたと言われ、祟りがあるとの伝承がある。

13嶋田神社の本殿 14白山比咩神社
(嶋田神社の本殿)           (白山比咩神社)
 嶋田神社の祭神は神武天皇の皇子・神八井耳命(かむやいみみのみこと)と崇道天皇(早良親王)。八島陵に明治時代まであった崇道天皇社を合祀した。本殿は江戸時代に春日大社第3殿を移したもの。
 嶋田神社から、藤原町の白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)へ、ここでトイレ休憩をとる。白山比咩神社の祭神は菊理比咩命(きくりひめのみこと)。

15鹿野園八阪神社への道 16鹿野園八阪神社への道
(鹿野園八阪神社への道)       (鹿野園八阪神社への道)
 白山比咩神社から、自衛隊の宿舎横を通り、田園風景の中を鹿野園町の八阪神社をめざす。

17鹿野園八阪神社への道 18鹿野園八阪神社
(八鹿野園八阪神社への道)     (鹿野園八阪神社)
 八阪神社の祭神・八柱御子神(やはしらのみこがみ)は天照皇大神と須佐之男命が誓約して生まれた宗像の三女神、天忍穂耳以下五男神の総称で、京都八坂神社等で祀られている。
 八阪神社から最後のポイント白毫寺まで山道をたどる。

19白毫寺の山門 20白毫寺 五色の椿
(白毫寺の山門)             (五色の椿)
 白毫寺では五色の椿が咲き始め、ヤブ椿や早咲きの桜も咲いていた。本堂や宝蔵を自由見学とした。

21白毫寺の子福桜 22白毫寺からの眺望
(子福桜)        (奈良市内の眺望)

 拝観終了後。参加者の希望を聞いた結果、大半の人を高畑町バス停まで案内した。午後5時頃終了。
 晴れてさわやかな早春の天候に恵まれて、参加者からも気持ちが良い日だとの感想が聞かれた。行程上もほぼ予定通り進めることができ、無事にツアーを終了できた。
 アンケート結果でも8割以上の参加者から満足との回答をいただいた。

                                                 以 上

トピックス(大官大寺)

幻の大官大寺を追いかけて(2017.11.19)
~天武朝の謎とその候補地を探る~

1300年前の飛鳥時代に思いをはせ、「幻の大官大寺」であるこの寺の候補地を訪れその謎に迫る古代ロマンの当ツアーです。

<行程>
JR香久山駅→吉備池廃寺→大官大寺跡→ギヲ山西遺跡→小山廃寺→奈良文化財研究所
→木之本廃寺→藤原宮跡→JR畝傍駅 (約6.5km)

朝から気温も低く寒い日でしたが、心配していた雨も上がり時々は日も差す日和でした。
37名の皆さんが、古代の横大路が通るJR香久山駅前に集合。
ガイド・サポーター13名が案内しました。
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早速、香久山駅前で説明を受けるグループや、歩きながら説明を受けるグループと思い思いの
スタイルで出発です。

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現在の横大路・国道165号線を渡って、吉備池廃寺へ向かいます。
          
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吉備池廃寺の入り口にある神武天皇碑の前で説明を受け、吉備春日神社で大津皇子の話を聞きました。遠くに二上山も見えています。



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吉備池の発掘調査によって巨大な古代寺院跡であることが判明しました。吉備池廃寺は舒明天皇が造営した百済大寺最有力候補地の可能性が高くなりました。
吉備池廃寺の発掘写真や航空写真・地図等を示しながら具体的な説明をしました。

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磐余池の候補地は、「磐余池」とは断定できないが、堤と池の堆積土が確認され、古代の池があったことは確実です。


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御厨子観妙法寺から天香久山の麓 万葉の森を歩いて飛鳥の里に向かいます。



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国史跡の「大官大寺」は、文武朝の造営によるものであり、水田の中に金堂跡・塔跡の基壇が残っています。

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大官大寺(文武朝)の西側にギヲ山と呼ばれる丘があり、周辺から古代瓦が出土してギヲ山西遺跡と呼ばれており、高市大寺の候補地の一つです。



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小山廃寺(紀寺跡)の説明 横の明日香テニスコートでは、第40回全国選抜高校テニス大会近畿地区大会開催されていました。

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奈良文化財研究所 昼食・資料室見学

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紅葉が見ごろの奈良文化財研究所より畝傍山を望む

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木之本廃寺―畝尾都多本神社周辺に木之本廃寺があったとされています。高市大寺の候補地の一つとして考えられています。

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藤原宮跡―日高山南方説の説明。
藤原京の朱雀大路の延長線上に高市大寺があったのではないかと説について説明しました。

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「万葉浪漫フェスティバルIN藤原宮跡」開催中でしたが、誰も立ち寄ることなく
醍醐池の前を通り、傳藤原宮海犬養門跡前で説明を受けて畝傍駅へと向かいました。
グループごとに順次解散しました。

幻の大官大寺(高市大寺)についての二つの謎 
① なぜ、急いで大寺を百済から高市に移したのか?
② なぜ、飛鳥から離れたこの場所を選んだのだろうか?
今回の謎解きのツアーは、いかがでしたか? 研究者の間でも意見が分かれています。
本当のところは、まだまだ時間がかかりそうです。
大和三山を常に眺めながら、一日ゆったりとした気分で歩くことができました。


文 写真 ガイドグループ 奥田八尋

トピックス(春日山原始林)

知られざる?世界遺産・春日山原始林(2017.12.3)
~神が鎮まる山に分け入り若草山頂へ~

世界遺産「古都奈良の文化財」(1998年登録)の資産群の中でも、春日山原始林は面積の半分(約300ha)を占め、市街地間近に大自然が残る静かな観光スポットです。
60回式年造替を昨年終えたピカピカの春日大社に参拝し、春日山原始林で巨樹を仰ぎながら森林浴を楽しみ、若草山山頂では、うまし国のパノラマを見ながら昼食をとり、最後は、春日野フォーラム甍の名庭を散策するツアーでした。

<行程>
春日大社本殿バス停⇒ 春日大社 ⇒ 水谷神社 ⇒ 仏頭石 ⇒月日磐 ⇒ 
春日山遊歩道 ⇒ 若草山山頂(昼食)⇒ 若草山ハイキングコース ⇒ 
春日野フォーラム甍  庭園を散策し解散  (約6.5km)

当日は好天の下、65名の方に参加頂き、10班に分かれ上記コースを巡りました。
以下に、そのガイド風景をご紹介します。

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受付場所に集まられた参加者の皆さん。受付後、班別にコース概要の説明をしました。

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春日大社拝所の東端で、式年造替直後の朱色が眩しい本殿を説明。
          
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     水谷神社(東側)            水谷神社(西側)        
社の東側で、床下の磐座の説明を受けた後、西側で、イブキの巨樹の中に生えたスギを眺める皆さん。

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原始林の入口間近にある仏頭石を拝観する皆さん  <仏頭石>
仏頭石:6角柱の頂部に如来面、体部に六観音を彫る異形の石仏。

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川の中の月日磐を覗く皆さん           <月日磐>
月日磐:聖水水谷川の途中にある“月日”を彫った石。氷室神社の創建地。

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好天に恵まれた晩秋の春日山原始林、若草山山頂へゆっくりと歩を進めます。

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途中、台風21号の爪痕を確かめる。台風の被害で、春日山遊歩道は一時通行禁止に。

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若草山山頂に到着、うまし国、大和の眺望。絶景!

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昼食後、ススキとワラビの若草山を下山。下る途中、神が鎮まる御蓋山が眼前に。

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「春日野フォーラム甍」の庭園を散策。木の葉の彩りがまだ鮮やかでした。

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「春日野フォーラム甍」前で班ごとに解散。お疲れ様でした。

トピックス(葛城の道)

葛城の道―古代の大豪族・葛城氏の本拠地を巡る(2017.11.5)

今回のテーマは葛城氏に注目してゆかりの地を訪ねることでした。
奈良盆地西南部の金剛山や葛城山の山麓部に勢力を誇っていた葛城氏の奥津城と、葛城氏にかかわる巨大集落遺跡、葛城氏が連れて帰った捕虜を始祖とする渡来系氏族の忍海氏の氏寺を巡りました。

<行程>
近鉄御所駅→室宮山古墳→南郷遺跡→長柄神社→長柄公民館→長柄小学校→一言主神社
→高丘宮跡→地光寺跡西遺跡→地光寺跡東遺跡→角刺神社→近鉄忍海駅(約10キロ)

11月5日(日)、快晴のもと18名の参加者とガイド3人、サポーター3人が近鉄御所駅に集合。早い人は8時半過ぎに到着していました。常連の参加者も初めての参加者も気兼ねなくお話ししている内に集合時刻の9時半になりました。
近鉄御所駅集合風景
   <近鉄御所駅集合風景>

バスで宮戸橋まで行き室宮山古墳に向かいました。室宮山古墳は5世紀初頭に築造された全長238mの前方後円墳です。葛城氏の祖、葛城襲津彦が被葬者として有力視されています。後円部に二つの竪穴式石室があり、調査された南石室には竜山石製の長持形石棺があります。懐中電灯を用意して石棺の中を覗きました。
女性の方は1人では来ることができないからと楽しみにしていたようです。
室宮山古墳石室見学
  <室宮山古墳石室見学>            

下街道を南下して、1992年、圃場整備事業に伴って発掘調査がされた南郷遺跡へ。現在はのどかな田園風景が広がりますが、かつては葛城氏に関わる武器生産の特殊工房や首長の居住地でした。出土状況の写真を使って説明します。
南郷遺跡遠景
    <南郷遺跡遠景>         

西に向かって集落の中を行き、長柄神社へ。ご祭神は記紀神話に登場する下照姫命で、俗称姫の宮といわれています。地名の由来はゆるやかで長い葛城山の尾根を意味する長江(ながえ)が長柄(ながえ)になり音読して‘ながら’となりました。境内入口には近くに実家がある堺屋太一さんの献灯した石灯籠があります。
長柄神社
      <長柄神社>

長柄公民館で昼食後、メインガイドの河井さんによる葛城氏と南郷遺跡群についての座学です。系図をもとに葛城氏と天皇家との関係や、各遺跡の出土状況・復元予想図など資料を用いて詳しい説明がありました。メモを取る参加者が大勢いました。
長柄公民館で座学
   <長柄公民館で座学>

公民館から北に歩いて5分程で長柄小学校です。校内敷地で竪穴式住居や石垣を伴う堀の遺構が検出されました。復元された2列の石垣とそれにはさまれた濠の写真を見せながら説明です。竪穴住居は葛城氏の居館と推定されています。
長柄遺跡説明
    <長柄遺跡説明>

さらに一言主神社まで北上していきます。葛城の神と言えば忘れてならないのは一言主神です。記紀では雄略天皇と一言主神の出会いの場面が記されています。古事記と日本書紀とで扱いが違うため葛城氏と天皇家との関係がどうであったのか説が分かれます。
一言主神社
     <一言主神社>

第2代綏靖天皇宮跡の伝承地・高丘宮跡までは自然豊かな古道を通ります。襲津彦の娘であり、仁徳天皇の皇后磐之姫命が、故郷を偲んで詠んだ歌「つぎねふ 山背川を 宮上がり・・・我が見が欲し国は葛城 高宮 我家のあたり」の‘我が家’はこのあたりとされています。
高丘宮跡
      <高丘宮跡>

地光寺跡まではさらに一時間程歩きます。汗ばむ陽気でしたが、時折吹く風が心地いいねと話しながらゆっくり歩きました。「地光寺跡」は鉄生産に関わった渡来系の忍海氏の氏寺とされています。
山麓線をはさんで西の地光寺旧跡の石碑がある北側が、8世紀前半の四天王寺式伽藍配置とされる西遺跡です。
地光寺跡西遺跡
    <地光寺跡西遺跡>

東の脇田神社境内には東塔の心礎が残っています。
東西二つの寺院は出土瓦などから7世紀末頃東遺跡が建立され、8世紀前半には西遺跡に移されたと考えられています。
この遺跡で注目を浴びたのは鬼面文軒丸瓦が出土したことです。鬼瓦ではなく軒先を飾る瓦です。県内でも珍しく、瓦のデザインは葛城市歴史博物館のシンボルマークになっています。
地光寺跡東遺跡
    <地光寺跡東遺跡>

最後は角刺神社です。第22代清寧天皇が崩御されて後継者探しをしている間、飯豊皇女が王権の政務を執った忍海角刺宮跡とされています。しかし執政期間は短くわずか10ヶ月で崩御されました。飯豊皇女の両親はいずれも葛城氏の血をひいています。
角刺神社
      <角刺神社>

葛城氏について豊富な資料と写真を用意し、参加者にわかりやすい説明があったことは好評でした。
歩数計が18000歩越えた方は、興味深い内容で充実した1日だったと話されました。
16時半には全員、近鉄忍海駅で解散しました。

文 写真 ガイドグループ  寺田麻美

トピックス(吉野龍門の里)

滝の織りなす聖地・吉野龍門の里を歩く(2017.9.30)

 龍門は飛鳥・奈良時代の貴族たちにとって世俗を遠く離れた別世界であり、山中には龍門の滝があり山懐に龍門寺が創建されました。龍門の里を歩き、吉野山でない龍門岳・吉野川の原吉野の歴史の舞台をたどりました。

<行程>
近鉄大和上市駅→吉野山口神社→龍門寺跡→龍門の滝→山口薬師寺→菅生寺→
平尾代官所跡→芭蕉句碑→佐々羅の街並み→妹山樹叢と大名持神社→近鉄大和上市駅
(約6・5キロ)


 爽やかな秋空が広がっています。17名が近鉄上市駅に集合。コミニュティバスに乗り込み出発です。神社、寺跡、滝、句碑、寺等、実りの秋の龍門の里を歩きました。

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       <吉野山口神社>
 大山祗神をお祀りする宮で「龍門大宮」「天満宮」「吉野山口神社」と名前が変わっています。紀州藩の参勤交代の道沿いでもあり、石灯籠が寄進されています。

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        <龍門寺跡>            
 古代山岳寺院のひとつで、奈良時代初期の瓦などが出土し、室町時代に廃寺。水音と足裏にやさしい山道。人間臭い久米の仙人の話も出、なごやかに山を下りました。

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        <龍門の滝>         
龍門の花や上戸の土産にせん  酒のみに語らんかかる滝の花     
芭蕉はその後吉野山に向かいます。

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         <菅生寺>
 龍門寺の別院。龍門寺の衰退と共に浮き沈みを繰り返し、庫裡には神武天皇から今上天皇までの肖像画が並んでいます。和尚さんに話をお聞きしました。

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       <龍門・実りの秋>
 当地・平尾で起こった農民一揆。その後年貢が軽くなったということはありませんでした。今日は小学校の運動会。実りの秋の景色に200年前に起こった一揆のあとはみじんも感じられませんでした。

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      <佐々羅の街並み>
 中世に龍門寺の荘園として発展したこの地の中心で、吉野と宇陀を結ぶ街道集落。
ひときわ立派な坂本邸は南都銀行の前身・吉野銀行、近鉄南大阪線の前身・吉野鉄道の創始者の屋敷。坂本龍門文庫を持つ。

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     <妹山樹叢と大名持神社>
 こんもりとした杜が左に現われ、道は吉野川に突き当たりました。
大名持神社は9世紀に正一位を与えられた謎の神社で、大汝詣りと呼ばれる民俗行事が現在も伝わっています。


 世俗の垢が付いていない聖なる地・龍門ですが、江戸時代、水が涸れて米が実らなければ上納が出来なく、村人の生活はたちまち窮することになります。里を潤す山からの水は天からの水でもありました。

 奈良盆地南部の地域の人にとって吉野川は聖なる川とされ、大名持神社の河原の石と水には霊力が宿るとされていました。大台ケ原に源を発する吉野川の水を奈良盆地に引くことは先人の切実な願いでありましたが、津風呂湖ダム、吉野川分水により願いが叶えられました。

 今回は“水”をテーマに龍門を歩き実りの秋を目で楽しむことが出来ました。
参加者の方々も熱心にメモを取っておられましたが、中国の故事に慣らい今日ここに来たことがおひとり、おひとりの登竜門となることをお祈りいたします。皆様、ご参加ありがとうございました。
 

トピックス(天理市東部)

天理市東部を縦断する(2017.10.08)

 今回の募集ツアーは、当日午後から天理市文化センターで行われる「講演会」の前段として
計画されたものです。天理市中心部の見所を廻る場合、天理教本部施設を避けることは出来ないし、また当地で講演会を行うに際し、そうした施設や信者さん達のありように丁寧に向き合うのも当を得た企画だと思いました。

<行程>
近鉄天理駅→三島神社(三島町)→天理教教祖墓地(豊田町)→記念建物(三島町)→
天理教教会本部(同左)→西山古墳(杣之内町)→塚穴山古墳(同左) 約5.5km


 当日は暑い位の好天に恵まれました。参加者は不参者あり飛び入りありで総勢27名でした。定刻には班態勢も整い、それぞれガイドに従って出発して行きました。

集合風景
   <天理駅での集合風景>

 三島神社の主祭神は大山祇神。山の神でもあり、海の神でもあるのです。当社は、伊豆一の宮「三嶋大社」・伊予一の宮「大三島大山祇神社」と同系統の神社とも言われます。

三島神社にて
    <三島神社にて>            

 教祖中山みきの墓所。豊田山墓地の最高所にあり、箸墓古墳を望むことも出来ます。周辺は何時も綺麗に清掃が行き届いています。古墳ではありませんが、天皇陵並の風格があります。教祖は明治20年正月26日に没しました。毎月26日が月次祭となり、全国から信者さんが集まります。

教祖墓地の前で
    <教祖墓地の前で>         

 記念建物は布教を始めた当時の教祖の居宅等で、現在の教会本部神殿付近にあった建物4棟が移築・保存されています。宗教上の理由から全て撮影禁止です。

記念建物に向う参加者
 <記念建物に向う参加者たち>

 天理教教会本部は、親神様(天理王命)が人類を創造したとされる場所「おぢば」に建つ神殿を中心とした建物群です。ほぼ総ヒノキ造りで、神殿内部の中央に甘露台と呼ばれる6角形の木製構造物があり、訪れた信者はその周囲から礼拝ができます。

本部神殿に参拝する参加者
<本部神殿に参拝する参加者たち>

 西山古墳は全長185mを計る巨大前方後方墳。布留地区を通じて最大かつ最古(4世紀後半)の古墳です。被葬者はいずれ物部氏となる集団の始祖王であったと思われます。

西山古墳を前に
   <西山古墳を前に>

 西山古墳と周濠を接するように築造された塚穴山古墳です。60m余の大型円墳で、17mある巨大な石室下部が露出しています。6世紀末頃の築造ですが、被葬者は明らかに隣接する西山古墳を意識しています。

塚穴山古墳(1)
<塚穴山古墳を見学する参加者たち>

 本部神殿では全員が登壇して参拝するなど参加者のマナーも申し分なく、外見的にも好ましく映ったのでしょうか。「山辺の道(巡り)ですか?」コースも終盤、天理高校の前で2人連れの女子高生に声を掛けられました。教祖墓地をはじめ教会本部施設を見学させて貰い、間も無く終了となることを説明しました。「そうですか、有難うございます」彼女等として何かを感じたのでしょうか。ささやかな交流により募集イベントの在り方を改めて考えました。

                                          東エリア 田中昌弘  
プロフィール
奈良をよく知り、奈良を愛するボランティアガイドのグループです。奈良の本当の素晴らしさを皆様にお伝えします。 奈良観光のご相談も、お気軽にどうぞ。

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